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【無職奮闘編】1年間引きこもり、同人ゲームを制作する。(前編)

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

前回の2015年後半の後編からの続きです。

2016年はほとんど外に出た記憶がありません。
それは僕は本当に引きこもり、R18の同人ゲームを制作していたからです。

同人ゲームを制作した経緯を後々詳しく説明していきます。
2016年になり、無職からまるまる1年間が過ぎようとしていた時です。

無職は年末年始がたまらなく嫌になる。

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この頃は年末年始に家族と会うのがたまらなく嫌でした。年始は家族全員揃っていいホテルのレストランに行くのが通例になっていました。

ずっと実家で両親には会うのですが、なかなか就活を始めない僕に対してピリピリとした空気を出していたし、兄は兄弟から嫌われていて、口を開くと年収マウントをするし、弟は無職である僕に高圧的に説教を始めます。

両親はその過程をにこにこしながら聞いています。誰も止めないのでカオスです。側から見たら面白いかもしれませんが、無職である僕は兄弟のヒエラルキーの最下層。無職から個人事業主一年目ぐらいまでの年末年始はたまらなく嫌でした。

もはや醜い会話しかしないので男兄弟達は嫌いでした。しかし、年始の集まりに行きたいくないと話すと、父からすごく怒られます。20半ばになって父親から怒られる無職。情けないです。

僕はこのたまらなく嫌な空間をどうにかできないかと思っていました。それは男兄弟達を捻り伏せる事をしない限り、年収マウント合戦や上から目線の説教はなくなりません。

僕は男兄弟達を心の中で"敵"とみなしました。こいつらを超えて僕は這い上がらなければいけません。しかし敵の部類としてはまだまだ雑魚です。まず年収500万だろうが公務員だろうが正社員だろうが。超えていかなければいけないと思いました。人生の通過点として、一つの目標と定めます。

同人作品に衝撃を受け、同人作家を目指す。

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僕はいままで同人作品にあまり触れてきてはいませんでした。触れていたとすると、高校時代にガラケーで無料で公開されている同人誌を読み漁るぐらいでした。

いまはわかりませんが、当時は恐らくコミケなどで買ってきた同人誌をネット上でアップし、そのアフィリエイトで稼いでいるサイトが結構ありました。(もちろん著作権的にアウトだと思います)

誰かがはじめるとまた誰かが始める。そしてそれがお金を稼げるとなると尚更です。すぐに飽和するほどサイトが乱立して行ったと思います。参入障壁が低い事業はすぐに稼げなくなってしまいます。

話が逸れましたが、僕は同人というと同人誌のイメージしかなく、ましてはそれでお金を稼いでいくなんて無理だと思っていたのですが、DLsite(同人販売プラットフォーム)である3DCGの同人アダルトゲームが目につきました。

それは商業ゲームと言っていいんじゃないかという程のクオリティでした。(アダルトゲームなので直リンクが貼れないのが残念です)

僕は早速そのゲームを購入し、実際にプレイをしてみました。キャラのモデルは可愛くてクオリティが高いし、しかもぬるぬる動く...。

これがなんと個人制作なのも衝撃でした。製作者の方は元CGデザイナーだったみたいですが、一人で作り上げる努力量に驚きました。

こうして僕は、「3DCGの同人ゲーは結構売れているし、一人でもなんとか生きていけるんじゃないか」と一抹の可能性を感じました。

そうして同人作家としてはじめの一歩を踏み出します。この一歩が今後の事業の根幹までつながっていきます。

春も夏も秋も冬も....どこへもいかず。ただ1日中画面の前にいる。

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僕はそれからずっとろくに外にも出ずに、制作を開始しました。2016年の写真の記録を見たのですが、本当に何もありませんでした。ずっと家の中にいたと思います。

僕は一応社会へ自立するために努力をしているつもりでしたが、社会に出るために同人のエロゲーを作っているなんて親には言えませんし、言ったとしても就活してから始めろとか正論を言われる未来しか見えませんでした。なので僕は家族には言わず黙々と作業を続けます。

しかし側から見たら、ゲームをしてようが現実逃避をしてようが努力をしてようが、一日中パソコンをやっているのは変わりません。

無職期間が一年以上になっていったため、親や兄弟からの圧力がどんどん強くなっていきました。それについては2016年後半で書きます。

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