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【高校受験、高校時代編】辛い幼少期、感情なしぼっちFラン大学時代、1年間専門学校に入学。そして地獄の零細企業社会人へ(2)【ノンフィクションドキュメンタリー】

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

高校時代の話になります。
高校は中堅どころの公立高校を受験し、奇跡的に受験に受かります。

中堅どころの高校は中学校時代の成績を五段階評価の成績で、平均が3以上、いくつかの教科が4以上を取らなければ適正な高校選びとは言えません。

当時の僕の中学の成績は、3がメインでところどころ2があるといった感じでした。クラスではもちろん下の方でしたが、中学になり1学年当たりの人数が小学校時代と比べて多くなったため、僕より成績が低い生徒もちらほらでてくるようになりました。(というか下はそもそも授業を拒絶して失踪する猛者とかでしたが)

個人的には結構背伸びをした学校選びだったと思います。ただ、親や先生は特別格上の高校を選んだわけではなかったので、応援してくれました。

しかし、成績が高校に適していない場合、筆記試験前の面接試験は期待できないと言われました。なので、最初から筆記試験にかけることにします。(そもそも面接試験は緊張しすぎて、ボロボロでした。当然落選)

だけど、受験勉強中は親に隠れて、近所のハードオフで買った中古のワンダースワンカラーでFF2をやっていました。そして親に見つかり、怒られましたが呆れられるような感じでした。当然ですが。

僕はクズなので、ばあ様が僕のために企画してくれた息抜きのための遊園地を拒絶し、その日没収されたゲーム機を1日中探すことに。結果としてはゲーム機は見つかりませんでしたが、親は見透かしていたのか、さらに呆れ、兄弟たちにも失笑されていました。

しかし、結果的にゲーム機は見つからなくてよかったと思います。
見つかっていたら、おそらく受験は失敗していました。

僕は兄弟達に最近まで下に見られていましたが、人としての能力やコミュニケーション能力の低さ、そしておどおどとした態度に加えてこうしたクズな部分を晒していたからだと思います。(もしかしたら今でも見下されているのかも。)

特に中学校時代は力もコミュニケーション能力も身長も運動能力も、弟に抜かされていたため、弟に勝てない僕は何一つとりえがなかったので自信を持つことができませんでした。

そして、人としての成長を拒絶し、交流も絶ってゲームに没頭。逃げ。
結果的に、僕の中学生時代はほとんどゲームに費やしていました。

多感で貴重な時期にゲームに費やすことはリスクです。
僕はもう遅いですが、いまではそう強く感じます。

普通の中学生は、友達を作り、友達とのコミュニティの中でコミュニケーション能力を学んでいきます。幼い人間に対して、多少コミュニケーションに粗相があったとしても普通の大人なら許してくれます。そうして大抵の人は対人関係を学んでいくのです。

後々に社会人としてのコミュニケーションを学ぶとしても、子供時代のコミュニケーションの能力はその土台にあると思っています。僕はその貴重な期間を、ただ一方的に娯楽を与えてくれるゲームに費やしてしまいました。

ゲームで学んだことも感性もありますが、中学生時代で学ぶべきコミュニケーションには到底かないません。

結果的に、大人になって今でも恥をかきながらコミュニケーションのやり方、人との距離感を探り探りで学んでいます。しかし、やはり努力をしてやっと普通になれたかどうか。後々書きますが、このコミュニケーション能力不足により、会社でも孤立していきます。

話は大分それましたが、僕はゲーム機を見つけられなかった事をきっかけに受験に対して腹をくくりました。父親に発破をかけられたり、母親に私立はお金がかかるから公立を狙え、と言われたことも理由です。

猛勉強の末、なんとか筆記試験に合格しました。
ものすごくうれしくて、間違いなくこの時の人生で一番大きかった成功体験だと思います。(弟には落ちると思っていたとぼそりと言われた)

この時の成功体験は後々の強みになったと思います。
人生でやっと、存在が認められたような、そんなうれしい感覚を覚えています。

そして、その後、高校に入った僕は安心感が強かったのか、またクズな側面が出てきてしまいます。

成績は相変わらず悪い。真面目な見た目と態度に反してテストの点が悪すぎて教員に心配される。運動部をバックれ、オンラインゲームにのめりこむ

高校に入学して僕はすっかり緩み切ってしまいました。
母親から成績アップを期待されていましたが、また真逆にいってしまいます。

高校では奇跡的に、小学校中学校、そして大学時代の中で唯一まともな学生時代だったと思います。友達にも恵まれた時代。

変わらずいじられキャラのポジションでしたが、ただ僕に不快感を与えるような"いじめ"行為ではなく、僕も周りも明るくなるような感じのいじりで、僕自身も居心地がよかったです。

そしてこの時、友人Aと親しくなります。
友人Aはいまでも時々会う友人です。友人Aは今後の記事でもちょくちょく出てくると思います。

友人Aはコミュニケーション能力が高く、誰とでもすぐに仲良くなれるような人間で、見た目も頭も運動能力も持っているような人間でした。そんな友人Aを尊敬していて、僕は友人Aの考え方に依存して、様々な選択肢を友人Aに合わせていきます。

考え方や選択権を自分に持たず、人に依存するのは自分に自信がない人の特徴だと思います。僕はこの依存の関係性を成人を超えても、親や友人Aから脱却できずに来てしまいます。

友人Aとは部活動、オンラインゲームなんでも一緒にやってくれる、付き合いのいい友人でした。しかし、当時はわかりませんでしたが、有能であるがゆえに少々偏った考えや態度をとっているようでした、その考え方も僕は取り入れることに。

今ではその少し偏った考え方や態度に現れることが目に付くようになり、友人Aとは多少距離を置くことにしていますが、それは僕が自立した考えを持てるようになったからだと思います。

===(閑話)
ただ、本当に友人Aを含む高校生時代の友人たちは、僕の人生を豊かにしてくれて感謝しています。彼らがないければ、授業で挫折したかもしれないし、人間不信な人生を歩んでいたかもしれません。楽しい時間をありがとう。みんな幸せになってほしい。
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成績の話にもどりますが、僕は中学生時代や小学生時代にゲームに熱中していたせいで、視力が尋常じゃないぐらい悪い人間になっていました。

しかし、理由がわかりませんがメガネがないと何も見えないのに、なぜかメガネなしで学校を過ごしていました。(眼鏡を紛失したか、陰キャに見られるのがいやで尖っていたか。あるいはどちらも)

そのせいで、目つきは悪くなり、髪型も床屋に行くのが嫌で自分で切って、おかしい髪形で学校にいっていました。完全に黒歴史です。これが高校1年の時。

そんな感じなので、黒板の文字が見えず、ノートも取れていなかったので成績は当然悪かったです。

テストもまじめに授業を受けているのに、髪の毛をバリバリ染めてたやんちゃ系の生徒より赤点の数が多くて失笑されることもありました。

特に厳しい先生だと、前期後期で続けて赤点を取ると、問答無用で10段階評価で"1"をつけられたことも。見た目は真面目、しかし成績はやんちゃ系より低い。そんな感じです。

厳しくない先生でも本当に心配をしてくれました。真面目系クズですみませんでした。

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文章が長くなったのでまた次の記事で続きを書きます。


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