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伝記絵本「キュリー夫人」のあらすじの紹介と評価


評価

娘:☆☆☆
ママ:☆☆☆

読んだ目的/きっかけ

本絵本は、我が家の読み聞かせの定番シリーズ「伝記絵本ライブラリーシリーズ」から、私の好みにより選ばせていただきました。

ママの感想

本絵本は、マリー・キュリー氏の子どものころから亡くなるまで、その優秀な頭脳を活かして医療の発展に尽力する生涯を子どもにもわかりやすく描いた伝記絵本でした。娘は、マリー・キュリー氏を知らなかったため、学ぶことが多かったようです。特に、「宇宙博士になりたい」と思っている娘にとって、「科学を研究すること」や「研究の成果をとおして社会に貢献しよう」とするマリー・キュリー氏の姿には、自分の未来について考えるヒントを得ていたように…見えたのは私の期待のしすぎでしょうか。

娘は、マリー・キュリー氏が医療の発展に貢献したいと考えるようになったきっかけのエピソードが気に入ったようでした。私はマリー・キュリー氏のような強い信念をもって働いているわけではないので、上記エピソードには穴を掘って隠れたくなるような思いになりましたが…まだまだ「働き手」としての人生は残っているので、自分の職業人としての生き方を見つめ直したいと思わされました。とはいえ、私ももう良い年齢なので…そして、何より幸い、子どもを心の底から大好きだと思える母親にしてもらうことができたので、「それってエゴだよね?」と言われてしまうのかもしれませんが、私は「自分の子どもを含むすべての次世代により良い社会を、日本を渡したい」という思いを胸に、仕事をしていきたいと最近は考えています。

さて、ずれた話を戻して、マリー・キュリー氏に関する私の感想を書かせていただきます。マリー・キュリー氏については、私自身が小学生だったころ、マンガで描かれた伝記を読んだことはしっかり覚えており、放射線の研究に尽力した方だということは知っていました。けれども、大人になって改めて彼女の伝記を読むと、「大人の視点」だからわかることや「そうだったんだ」とはじめて知ることがとてもたくさんありました。上記点は…思いのほか、たくさんあったので、私が今回、改めて強く感じたこと1点だけを記載させていただきます。

本絵本を読んで、私が改めて一番強く感じたことは、一般的に使われている「キュリー夫人」という呼称についての、違和感です。本絵本を読むと、キュリー夫人は、夫の助手としてではなく彼女自身が自立して、主体的に研究活動を行っていたことがわかります。もちろん、そのことは彼女がパリ大学初の女性教授に就任したこと、夫の死後の彼女が歩んだキャリアからも証明されていると言って良いと思います。それなのに、あるいは「そのような彼女」なのに「キュリー夫人」という呼び方はどうなのでしょうか。細かいことはさておき「夫人」は「ある人の妻」ということを意味する言葉です。つまり、「キュリー夫人」という呼び方は、一人の女性に対して、しかも偉業を成し遂げた人物に対して「キュリーさんの奥さん」と呼んでいるということに自覚がある人は…どのくらいいらっしゃるのでしょうか。

もちろん、マリー氏の配偶者・ピエール・キュリー氏も優秀な方だったようです。けれども、そうであるならなおのこと、「マリー・キュリー」と「ピエール・キュリー」とわけて呼ぶべきではないでしょうか。マリー・キュリー氏に対して「夫の添え物」のような呼称を用いることは、時代背景の問題があったにせよ、失礼ではないかと思いました。

というか、時代背景が問題なのであれば、現在においては「マリー・キュリー」に改められて然るべきです。私は仕事では旧姓を使用しています。そのため、我が家の子どもたちにとって、私は「旧姓+名前」の存在でもあることは「当たり前のこと」です。このようなことを言うと「面倒くさい人」と思われそうですが、私は生まれてから一貫して、「旧姓+名前」である自分の人生を一生懸命に生きてきたつもりです。そして、仕事ににおいて、結婚によって「新姓」になったことで新たに得た役割は関係ありません。このように考えているから、私は仕事上は「旧姓」で生きています。これからもそのつもりでいます。

ここまで一般に広く使われている「キュリー夫人」という呼称を改めるのは難しいのかもしれませんが、私の個人的な考えも含め、私は「マリー・キュリー」という名前で彼女をきちんと呼ぶべきだと強く思いました。だからこそ、この感想では、彼女への敬意も含めて、キュリー夫人ではなくマリー・キュリー氏と書かせていただいています。まだ科学が今以上に発展途上にあったという「時代の強味(?)」はあったにせよ、自身でノーベル賞を2回受賞するとともに、娘もノーベル賞を受賞していることから想像すると、マリー・キュリー氏は、自身がとても優秀だっただけでなく、教育者・母親としてもきっと素晴らしい女性だったのだと思います。

私がノーベル賞を受賞する日は絶対に訪れませんが、「できることなら、マリー・キュリー氏の爪の垢を煎じて飲ませていただきたい」と思う、本当に素敵な女性であることを本絵本をとおして改めて知ることができました。同時に、「私も、大きなことはできなくても、そして、永遠に追いつくことができなくても、マリーの背中を追いかけていきたい」とマリー・キュリー氏に対して僭越ながら思いました。娘が、私が感じたマリー・キュリー氏の魅力を少しでも共有してくれていたらうれしいです。

本絵本は、放射線研究で有名なマリー・キュリー氏の生涯をわかりやすく描いた伝記絵本でした。マリー・キュリー氏の魅力が伝わるとても素敵な絵本でした。


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