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【鑑賞】「アンサンブル室町による室町のミサ」

正体不明の音楽鑑賞(頭がぽっかり開く)


2003年6月30日(金)、友だちに誘われて、会場の川口総合文化センターリリア音楽ホールに「アンサンブル室町による室町のミサ」を聴きに(見に)いった。
アンサンブル室町についてはまったく無知である。前知識を入れずに席についた。
大きな会場。右に洋楽器、左側に和楽器。二階にはパイプオルガン。舞台の上には藁の山。あやしげな雰囲気である。
演奏が始まり、舞踏家の田中誠司さんが舞台下手から登場。手になにか長いしなやかな棒のようなものを持っている。演奏家の後ろ側をゆっくりゆっくり移動して、棒で演奏家をさするかのような動き。茶化しているようにも見える。なぜかズボンを穿いていない。
ミサが続く。長時間演奏は歓迎である。曲は長ければ長いほど好ましい。
今度は客席から田中誠司さんが登場する。白いドレスを着ている。なぜか首の付け根から長い紐が伸びている。「長いなにか」というテーマでもあるのかしら。舞台の上で長い紐を引き寄せてかじりついた。
パイプオルガンの用には、男性がひとり待機している。ときどき、手すりまで出てきて、歌を歌う。どこから声が出ているのか、という凄い声だった。
一時間の演奏で第一部終了。十分間の休憩。
「なんだかわからないけど、頭が開いたようだ」
とクラシックと能に造詣の深い知人がいう。そうか。開いちゃったか。

和楽器アンサンブルの面白さ


第二部はぐっと和楽器が前面に出てきた。琴と琵琶の人は演奏しながら見事に歌う。なんとか聞き取ろうとしたが、なにを歌っているかわからない。あとから思えば、あれはミサ。日本語ではなかった。
和楽器の音は、楽しい。五線譜の洋楽器と独自の譜面の和楽器がどのようにしてアンサンブルをとっているのか、音楽にうとい私にはぜんぜんわからない。
みんな譜面をみて、音を奏でている。この一見、でたらめに見える演奏、監督によってきっちり計算されているようだが、なかには演者のアドリブパートもあるのではないか。田中誠司さんの動きに反応しているようにもみえる。

自由すぎる舞踏


第二部では田中誠司さんは客席から登場し、背中には大きな金属製の梯子を背負っていた。十字架を背負ったキリストのようでドキッとする。客にぶつからないようにつねに左右を見ながらゆっくりと進んでいく。
舞台の上で大きな梯子を投げ落とした。がしゃっと大きな音が響く。これも演奏の一部なのか。演奏の邪魔にはなっていないのか心配になった。
田中誠司さんは藁の山の中に突っ込んだ。めちゃくちゃに暴れる。藁が飛び散る。
梯子には大きな風呂敷がくくりつけられており、散らばった藁を風呂敷に包んだ。なにをするかのかと思ったら、風呂敷を抱えて、開いた梯子に登り始めた。
梯子の上でじっと演奏に聴き入るパンツ一枚の田中さん。前のほうに乗り出し、藁を振り回したりしている。
どういうストーリーなのかわからないが、ちゃんとステージ上に置いてあった藁という伏線を回収し、長いものを振り回し続けているところは一貫性があって面白い。
アンサンブル室町はミサを二時間やりきって、終了した。いかにも現代アートという感じ。私も頭が開いた気がする。たまにはこういう意味不明なものを鑑賞するのも面白い。

曲目


居酒屋でパンフレットを開いた。作品名は「室町のミサ」。テキストはラテン語で、ミサの通常分に基づいたものだそうだ。通常といっても、こちらはラテン語となんの縁もない。作曲は柿沼唯。
一応、曲名はあるようだ。
Ⅰ、いつくしみの賛歌
Ⅱ、栄光の賛歌
Ⅲ、信仰宣言
Ⅳ、感謝の賛歌
Ⅴ、平和の賛歌

時代は室町


なぜいまミサなのかと疑問に思ったが、作曲の柿沼唯さんがProgram noteに書いていた。

われわれ日本人が初めてヨーロッパの音楽と出会い、同時にキリスト教と出会った室町時代後期。こんなミサが行われていたとしたら……という空想が、作品構想の始まりでした。当時日本のどこかで出会っていたであろう、和楽器と古楽器という楽器の組み合わせで何ができるか。それはアンサンブル室町がこの15年取り組んできたテーマでもありますが、私は現代の作曲家が書いた音楽をそれらの楽器で演奏するというのではなく、たとえばバッハのような天才が室町時代にいたらどんな曲を書いただろをか、という空想のもと、作品を書いてみたいと思いました。

柿沼唯「Program note」より

室町時代にすでに日本人は古楽器と出会っていたのか。壮大な話だな。

和洋の古楽器が勢揃い


ちなみに、今回用いられた古楽器は、
バロック・ヴァイオリン 西岸卓人
バロック・ヴァイオリン 須藤麻理江
バロック・チェロ 山田慧
ヴィオラ・ダ・ガンバ 和田達也
チェンバロ 桒形亜樹子
尺八 黒田鈴尊
笙 石川高
篳篥 三浦元則
箏 日原暢子
琵琶 久保田晶子
カウンター・テナーは久保法之である。

即興と計算の融合

目指したのは、古楽の様式と邦楽の様式の融合です。両者には、楽譜主導ではなく演奏主体の表現(自由な装飾や即興)や、古い楽器のファジーな側面を活かした病原などの共通点があり、まさに同時代の音楽なのだと思います。

柿沼唯「Program note」より

なるほどなるほど。やはり即興的な部分はあったのだな。バイプオルガンの響きが全体を支配していて、おもに和楽器が即興を繰り出しているような印象をうけた。
琴の日原暢子と琵琶の久保田晶子のボーカルがとても記憶に残った。箏という楽器はサイズが大きいこともあるけど、演奏者の身体の動きがダイナミックで見ていて面白い。
また、機会があれば観に行きたい。演奏と舞踏をかけあわせる意味が私にはよく理解できていないけど、次なにが起きるのかというドキドキ感が加わったのはたしかだった。
館内は冷房が強かった。田中誠司さん、ずっと半裸で寒くはなかっただろうか(どうでもいい感想)。

(了)

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