減薬してみて変わった

てんかん治療の話。

通院で抗がん剤治療を受けているとき、つまり、昨年の春。仕事は休職していて、病院にはひと月ごとに通うような態勢だった。

まだ体重が戻っていなかったので体力もままならなかったし、家事をしながら近所を散歩して過ごしていた。

そんな生活のなかで思いついたのは、「今なら減薬して何かあっても大きな問題にはならないだろう」という冒険心。本来は、医師の指導の元行わなければならないことは重々承知してます。後でしっかり怒られましたし、それは結果往来だったから笑って済まされただけのことで、一人でいて倒れてた可能性も否めない。

でも、一方で、「誰にも迷惑をかけない今しかできないかな」という思いのほうが勝ってしまった。

以前から調べていて怖かった、また、以前に担当医に断薬させられてひどい目にもあっていたリボトリールを減らす方向に持っていけないものかと。

実際、これを飲んでからやる気が失せていた。といっても、飲み始めてから10年は経っていただろうか。だから、もう気持ちの一部にはなっていた。でも、長年どこかで自分でないものを上から被らされている感覚もあって、「やめたい」という思いが募ってもいた。医師には相談はしていなかったけど、いろいろ調べていた。飲んでいる人の話や減薬した人の話、それに失敗した人の話、大量摂取して悩んでいる人の話、いろいろ。

自分もつらかったから、2mg摂取していたところを、半分に減らした。

1週間は頭が重かった。目眩はなかったし、発作も起こらなかったけど、減薬に伴う体の反応があって、いつ発作が起こるかわからないという不安のなかで気持ちも不安定になっていた。

でも、1週間。それを過ぎると何もなかったように、いや、気分が晴れた。目の前の霧が晴れたように見るものが自然になって、自分の話す言葉が自然になった。逆に、長いこと束縛されてたなぁという苛立ち。でも、開放感が勝って体も軽くなった。

減薬したことは妻にも話さなかった。定期的な発作が起こらなくなって、次回のクリニックへの通院時に医師に話す前に妻に話した。妻は驚き、心配し、怒った。まぁ、そりゃそうだ。状況を話して納得してもらったけど、減薬して3週間以上経過してのことだったから、向こうからしたら呆れてた感じ。医師も同じく。まぁ、結果的によかったんじゃないのと。

よくわからないのは、発作が治まっているという状況。

仕事をしていないからか? 編集者という業種が精神的に負担だったのかもしれないとも思う。でも、それも裏付けがない。

夏になって、まだ体重は戻っていなかったけど、治療が終わり完全奏効ということになったので、就労支援施設に通うことにした。すぐに転職活動ということではなく、復職するにしても転職するにしても、段階的な準備が必要だろうという判断から体慣らしの意味もあって、1時間かけて通うことにした。やってることは、特段難いことはなかったので、退職のタイミングで辞めてしまったけど。

それで、就労支援施設に通っている間に、秋に地方公務員試験を受けるために3週間ほど一気に勉強した。テキストを並べて高卒レベル、と言っても難しい内容の教養知識を一気に詰め込む作業は、1日6時間を1週間のうち3日で2週間ほどかけたかな。あとは論文に時間を割いて。なので実質的にはあまり勉強できてないけど、それこそ仕事してるよりよほど集中を続けたというか、気合い入った。でも、発作が起こることはなかった。

そんなこともあって、今もパソコンの前でパチパチと文字を打つことにためらいもなく、「発作、いつ来るのかな?」と怖さも遠のいてしまっていて、それが怖いくらい。

まあ、でも出かけるときは数日分の薬は常に持ち歩いてます。何が起こるかわからんから。障害者は荷物が増えるのは仕方ない。私の場合、リウマチもあるので、薬が多い。スマホのバッテリーと薬は手放せません。

減薬してから1年近く経過する。クリニックに通院するたび、医師から「今日はいつもよりスッキリした表情してますね」と言われ続けてる。

「いや、人と会って会話してないのでまだまだ緊張感ないですよ」と返してるけど。ほんとに、早く社会復帰したいもんだわ。


追記:でも、結構異臭を感じる日が多い。これは以前はなかったことで。これも発作の一部の可能性あるかなと。わからん。脳波検査では、てんかんの脳波も検出できなかったんだよなぁ。抗がん剤で消えたという話もある。そんなわけないか。発作がないことが逆に怖い現状。

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