27. 今日の自分であれ

あの頃、絶不調だったあの頃。大きな病院の各科を周らされてけっきょくのところ何もわからずにどうにもならない、病名がない原因がない身体元気ですと言われたところで調子の悪さが変わるわけではないのでどうしたもんかと途方にくれる、これ一番めんどくさい状態だと思う。なんせ世界が絶好調に回転していて真っ直ぐ歩けないんすよ、どうしろと。ここから色々連鎖的におかしくなって最終的に精神科の薬で緩和するんだが、どうしようもないけどあそこだって問診の判断だし、出会った医者の裁量次第だから何とも言えないところで、後々病名的なものを別のところからもらうんだが、ここでは病名もつかないし気持ちの問題みたいな感じで薬投げてほったらかし、緩和されたから別にもう何でもいいやって感じだったけれど。

いまとなってはそう変わらない日々、それでも時々似たような症状が出たり大体こんな感じの時にっていうのはあるからそこに怯えたり、でもいいほうなんじゃないかな、わからんけど。当時できることもできないこともあったし、思い通りにいかないことに苛立ったり、あの時に出会った人に言葉をかけてもらえなかったら救われなかったことは別の話、それはそれとして、絶対的に戻らないような状態であればそこで切り替えるしかないんだけど、戻れそうな状況ってけっこう性質が悪いよな。諦めきれないというか執着するというか。けどもう新しい自分、新しい世界なのだから、新しくできることもどうしたってできないこともあって当然であるし、それでいいんだよな。いままでこれができていたからってこれからできなくてもいい、それでいいんだよ。諦めるっていうのは明らかに見るで、現代的にはなんかネガティブでも元々の意味は違う、それとも少しずれるかもしれないけどいまの自分を見つめること、真実を明らかに見る、昨日は昨日でしかないし今日は今日、きっとそれはいいこと。明後日のことは知らない。

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