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あらひろこさん新譜KULTAのこと

よかったんですよ、とても。ゆえに筆を執っているわけなので。これは個人的な意見なので聞き流してくれて構わないのだが、亡くなった人が神格化されるのは違うと思っている。亡くなったからすごい人になるのではなく、偉大な人が亡くなったのだ。生前、没後で評価が変わることは──主観的にそれを排除するのは難しいことではあるが──避けられるべきだと思っている。

そのうえで、KULTAは素晴らしいアルバムだった。あらさんはCDの中で呼吸をしていた。だから遺作ではなく新作として、純粋に聴くことができた。参加ミュージシャンも、全員が全員、あらさんの音に対して真摯に向き合い、対話をしていた。コミュニケーションが行われていた。これは、とても難しい作業であったと思う。残された録音に何かを添えるだけなら簡単だ。しかし、残された録音と対話をし、聞き手の耳に届くときにはあらさんと会話をしているように聞こえさせている。会話というのは生き物である。ここに集まった人は誰一人としてあらさんを故人として扱っていなかった、それがこのアルバムの最も評価されるべき点だと思う。

音楽については言うまでもない気もしている。言うまでもないメンバーが集まっているのだから。KULTAはフィンランド語で「黄金」。転じて「大切な人々」を表す。繰り返すようだが、ここに集った人々は趣旨を完全に理解し、音楽で還元している。音楽におけるプロの定義はさまざまだが、ここにいる人をプロフェッショナルと呼ばずしてなんと呼べようか。

素敵な装丁も、経緯を聞いてはいたが、手にとって感嘆の息が漏れた。あらひろこさんからの招待状、というコンセプトはこのように具現化されるのか。
熾烈だ、と思った。音もデザインも、本気を越えた、魂のようなものが籠もっていると感じた。人々をそれだけ本気にさせることができたのはあらさんのお人柄あってのことだと思う。私にさえ優しく接してくれた、あの。

一人でも多くの人に聴いてほしい、そう思ってnoteを書いている。

ぜひ。

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