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吹き出物のような違和感には、向き合わなくていい

右の髪の毛の生え際に1つ、右のこめかみあたりに4つ、右のまゆげに1つ、吹き出物ができている。この吹き出物渋滞の原因は、おそらく前日、風呂に入らずに寝たせいだ。

その小さな赤い塊は、小さいくせに赤みと痛みによる自己主張が激しく、どうしても気になって触ってしまう。触るとまた余計に腫れ、なかなか治らないという悪循環。

体の表面積に比べたら大したことがないはずなのに、やたらと存在感があり、異物感、違和感が拭えない。

仕事でも、そんな吹き出物のような違和感を感じる相手がいる。接点は1ヶ月に一回あるかないかぐらいで、たいした話をするわけではないのに、何度かのやりとりで抱いてしまった苦手意識は増すばかりで、この週末はそんな違和感を抱えたまま過ごした。

簡単なことをお願いするだけなのに、その相手に電話するのが苦痛すぎて、結局メールで済ませてしまった。しかし、自分が逃げたことで余計にそのできなかったことが自分の首を絞め、苦手意識を助長し、被害妄想ばかりが広がり、さらに溝を深める始末。赤みも痛みも増すばかりだ。

そんな中、今日の夜、友達とごはんを食べにいった。大学時代からの同い年の友達で、東京に用事があって来たついでに声をかけてくれ、帰りの電車までの数時間、東京駅でごはんを食べながら、話した。

近況を話し合う会話の中で、私はやたらと「この年齢だと〜しないとだよね」と口にしていた。しかし、得手不得手は年齢に紐付くわけではない、と会話を振り返って気づいた。技術を極めてスペシャリストになりたい人、マネジメントを極めて管理者になりたい人、人によって様々なはずだ。

私は管理者になりたいわけではないし、スペシャリストにもなり切れてない、とても中途半端な仕事をしているな、とどこかで思っていたのかもしれない。

でも、同時に、そんな私だからできるサポーターとしての役割があって、それをやっていて現に助かっている人がいる、ということにもっと誇りを持とうと思った。

苦手なこと、できないことを埋めようと思っても仕方がない。できた吹き出物はひくまで、待つしかないし、治っても、またできるときはできてしまう。

それならば、変に気に病んでも仕方がない。そう考えたら、なんだか少し楽になった。無くせない、いつできるかわからないものに、ずっと意識を向けている方がしんどい。

これはできない自分を正当化して、現実逃避をしているだけかもしれない。でも、自分のことを自分で苦しめて参っていたら、そんな時間がもったいない。

好きな人と話をしたり、美味しいもの食べたり、読みたい本を読んだり、そういう自分を幸せにすることに時間を使ったら、吹き出物の違和感なんか忘れるし、薄くなる。

吹き出物も、いずれ赤みも痛みもひいて、フラットになるのだから。そんな風に思いながら、スーパーで明日の朝ごはんの材料を買い、家路についた。

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