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このnoteにおける私について その3

連日の投稿、偉いぞ俺。誰か何かくれ。

第2回はPという王道プログレバンドへのゲストドラマーとして参加したくだりでございました。そう、愛してやまないプログレバンドへの参加ですよ。思ったとおりです。すさまじい楽しさとやりがい、臨機応変な演奏にパッションははじけ、アドレナリンが雪崩のごとく放出します。

いやーこんなにすばらしいとは。好きなものって好きなのね。
当初はそんな風に感じていたんです。レコ発の行事一式が終わり、旭川のLIVEをもって私はHMバンドSに戻って専念しますよ。

でもね・・・忘れられないんですよ。Pでの演奏が。寝てもさめても。結局その後半年を待たず、私は自らの意思でSを脱退させていただく旨をお伝えしました。(※その際の伝え方、態度に関して私は今でも反省しています。もう少し言い方ってもんがあるでしょうに。俺のバカさ加減に滅入る)

Pがドラマーの選定で苦労していたことを知っていた私はSを脱退した旨、Pのリーダー、鍵盤に連絡した際の彼の咆哮は今でも耳に焼き付いてます。

紆余屈折がありましたがメンバーを一新したPはその後激しい活動に入ります。道内、国内はもとより米国ツアーも敢行し、正にのりにのった状態でした。ところが時は残酷なもので、正業があった鍵盤が首都圏に転勤、バンドは無期限活動停止となります。

その後地元札幌でTというHRバンドなどを経て、首都圏にも出たりして何とかドラマーとして生き残ろうとしました。

それが間違いだったんです。

ドラマーとして生き残りたい私の意志なんて、誰から見たってどうでもいい。大切なのは居るべきときにその場にいて必要なものを提供できるかどうか、つまり私の意思よりも相手の意向を重んじるべきでした。当たり前すぎる話ですが、人間窮すると自分の欲しいものにばかり意識が向きます。苦しければ苦しいほど、相手はどうなのかを感じ取るべきでした。

思いっきり端折りますが、4年間を経て札幌に戻った私はRというプログレインストトリオの復活に参加し、2013年、メジャーより1stアルバムを発売、地元アンド東名阪ツアーに打って出ました。

その頃、限界の頂点を迎えていました。いや、何がって私の体です。具体的なことは書きませんが、とにかくドラムを叩くと言う以前にもはや日常生活にも係る病でして・・・

音楽は卒業だ!はいはい、もう終わったことですよ、今は違う人間ですよ。

そう振舞っていました。人にも自分に対してもね。

自分の意思で自分じゃない自分になりきろうとした挙句、体だけではなく精神も病んでしまうことになります。中度の欝です。現在精神障害3級の手帳を持つ立派な障害者になってしまいました。

さぁ、これで過去の振り返りは終了です。次回より、その頃から今への経路をご案内し、同じようなご苦労をされている方の参考にでもしていただけたらと、そんな思いで投稿しますよ。そこから「本当の自分」を見出すまでにどれだけの迷路をたどったか、どれだけ愚かだったか、ご案内します。


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