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蕨手刀の焼き入れに学んだこと

最近の焼き入れは刃文を形作らないようにしようと思って臨んでいました。
ところが、作らずして作るという自分でも矛盾した部分に都度突き当たってしまい、結果的には完成度の低い物になってきているように思う。
古作を見ると正にそれが目の前に現れていることに『物を作ろうすることはどいうことなのか』と本質的なものに突き当たってきていた。

今回、材料もやり方も、そして作り上げようとする形も初めての試みであって、焼き入れの直前まで自分の中に「どうしよう」という迷いが、焼き入れの時刻が近づくにつれどんどんどんどん大きくなっていった。
結局やらざるを得ないギリギリまで自分の中で「どうしよう・どうしてやろう」という何とも言えない感情が自分を支配していたのを感じつつ、しかしいずれ仕上げをし、展示して地刃の様子を細かく見たいのであれば、
ある程度の範疇に入っていないと先へ進めないのでは無いかという、そんな思いから半分は引け目を感じながら立子山まで急遽土を取りに帰り、飯舘まで戻る道中もまだ迷っていた。
飯舘に着き蕨手刀に土を塗るべく土を練り始めながら、どこかで「あぁ自分の力の限界がこの辺なんだろう」という半分諦めに似たような気持ちに支配されるに従って、
非常に気軽に土を塗りつけて「これでどうなるのかな?」といったさっきまでの迷いが何かこうどっかに行っちゃったような気持ちになって、土を乾かして焼き始めたのですが、思った以上に温度の上がりにムラがない。
重ねもあるし元の方がかなり厚い柄に繋がっているので、多分焼き落としにはなるだろうと予想はついたのですが、温度はそれほどむらになっていなかった。
「あ、これならいけるかなぁ」ということで瞬時の判断で棟から水中へ入れた。
これは試作刀の1号が焼き割れをしているので、研いで仕上げる場合やっぱり焼き割れをしたもので研師さんの手を煩わせるということが非常に心苦しかったので、
まず棟から、厚い物を水中に入れれば割れることはないだろう。で、火もギリギリまで我慢して下がるのを待って入れたので、おそらく割れはないだろう。

水から出したときにほとんど形が動いてなかった。「あれ、まずかったのかな…」と思ったのだが、刃先が白く爆ぜていたので「あ、これはいけたなぁ」という感覚があって、
二瓶くんに砥石を当ててきてもらったら何ともこう形容しがたい喜びが、多分顔は笑っていなかったと思うんだけど、心の中ではやったんじゃないかとそんな思いで仕上がった物になった。


事務局の小話
この記事を書くにあたり、文字起こしが終わり原稿チェックでOKをもらったあと、定点撮影の動画データがあるので刃文を見たときの表情をチェックしてみよう!と藤安先生と動画を確認してみました。
……ニヤッと笑ったあと、平静を装いスンッとした表情に戻っていたことをここにご報告いたします ( 'ノω')


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