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僕が小説を書こうと思ったワケ【映画脚本を小説にトランスフォーメーション】

『クリエイターあるある』で、物創りが生理現象となってしまい、四六時中を空想したり妄想したりしています。

ドラマや映画なんかを観ていると、気がつけば他の事を考えてしまっていたり、アイデアやインスピレーションが降りて来るので、オンデマンド・コンテンツはもれなく一時停止や巻き戻しの応酬となり、一緒に観てる人からとても嫌がられます。(本当にすいません、、一種の病気だと思って頂ければ幸いです)

そんなこんなで、長年書き溜めてきたアイデアや脚本がたくさんあったりします。

ほぼ全てが映像化を目的とした脚本だったりする訳で、短編・中編・長編の映画脚本とかを見返しながら、自分でダメ出しをしたり、「結構、いいじゃん!」と自画自賛している寂しいやつです。

そんな、日の目を見なかった可愛そうな作品を眺めながら「映像化に伴う」様々な費用やスケジュールによって、作品が世に出なかった現実を考えていました。

世の中には様々なコンテンツが存在するわけで、「音楽」「映画」「アニメーション」「漫画」「イラスト」など、本当に多種多様です。

そんな中、一番シンプルでありながら優れたコンテンツは何かと考えた時に思いついたのが『小説』でした。

文字だけで構成ができ、ストーリーが展開できる媒体。僕自身も国内外の文学作品や現代小説は大好きで、今でもよく読んでいます。

今まで、自分が書いてきた脚本は「文字ベース」でありながら、映像化を主として考えていた為、世に出る事がありませんでした。

そればらば、「脚本」⇨「小説」という一種のトランスフォーメーションをすることでコンテンツ化でき、たくさんの方々に見ていただける機会が作れると思い立ちました。

もちろん、「小説」というものを決して軽んじているわけではなく、僕自身も偉大な小説家からどデカいインスピレーション天啓を受けてきたわけで、その文体に対するストイックな姿勢や取材の量、自身の人生観を通じた仕事への姿勢に最大の敬意を抱いております。

三島由紀夫の『豊穣の海』や谷崎潤一郎の『春琴抄』、アルベルト・カミュの『異邦人』など、多大な影響を受けた作品は数知れません。

元々、「日本語が大好き」という事もあり、潜在的に日本語というものを最大限に自分で掘り下げ、昇華させたモノを作ってみたいという想いがありました。

これまでの人生においても、自主的な作品を創ってきた事は何度もあります。

その度に、自分の中で「これが自分の最後の作品」となっても良い様に、全てをぶつけてきました。

自分の「人生観」やその中で「出会った人」や「別れて行った人」、見て来た景色やこれから伝えたい想い、後悔の念。

これまでの自分の人生の集大成として、『小説の執筆』に取り組んでいきます。

それを、どういった形で皆さんにお届けできるのか、まだ色々と検討中ではありますが、全身全霊でこのプロジェクトにコミットしていく所存です。

この作品は、自分にとって避けては通れないモノであり、一種のグリーフリリーフなのかも知れないですね。

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