見出し画像

こどもホスピス 〜一緒に生きる為の場所〜

日本に難病や重い障害を持つ子供は約20万人、生命が脅かされる病気や重度の障害のある子供は約2万人、人口呼吸器の装着など医療的ケアを必要とする子供は1.8万人いるといわれています。

これらの病気を告知された子供達は入院や通院を余儀なくされますが、医療現場とはあくまで治療を目的とする場所であり、子供の気持ちや立場に寄り添えているとは言えないのが現状です。

命を脅かされている病を持つ子供たちと家族への支援は乏しく、医療や介護、福祉サービスが行き届いてる日本において、彼らだけがシステムの狭間で取り残されてしまっている現状は、あまり知られていません。

日本の『小児緩和医療』は、諸外国と比べても大幅に遅れているのです。

医療システムに翻弄される子供たちと家族

治療が困難な病に侵され余命宣告されたとしても、その瞬間に子供たちの命が終わるわけではありません。

一人ひとりに大切な家族や友達がおり、「生きる時間」があり、「夢や希望」があり「やってみたい事」があります。

9年前の2012年の三月に、私の父は長年の抗癌剤治療と放射線治療の甲斐なく、余命宣告を受けて緩和治療を目的とした成人ホスピスに移りました。

そこで父と病室を共にしていた9歳の少女と出会いました。

キャタクター物の可愛らしいパジャマに身を包み、ピンクのニットを被っていたその娘はとても美しく、今でもよく思い出します。

私の父は、度重なる手術と何度も病院を転々とせざる終えない状況に苦しめられました。

闘病生活は本人のみならずその家族の生活をも着実に蝕んでいきます。

その少女との出会いを機に日本における子供の緩和治療の状況を色々と調べ、その現実に愕然としました。

今回は、数ある小児医療に関する書籍から石井光太さんが描かれた『こどもホスピスの奇跡』という本を元に、小児緩和治療の現状を掘り下げてみたいと思います。

発症と共に一変する生活

お子さんの身体の異常は唐突に現れます。「よく転ぶようになる」「昼寝の回数が多くなる」「食べ物をよくこぼす」「機嫌が悪いのが数日続く」など、最初は非常に些細な兆候に過ぎません。

そのうち、「左足をひきづる」「目に斜視があらわれる」「頭痛や吐き気」など容体が悪化し、両親は子供を近場のクリニックに連れていきます。

しかし、そこではあまり精密な検査が行われれない為に、「ただの風邪」や「異常はありません」などと云われ、薬を渡されて終わったりします。

にも関わらず子供の容体が改善しない為に、両親はもう少し専門的な病院に連れていき、そこで踏み込んだ検査をした際に「重度の病気」の告知をされます。

その際に、心ない医療者の言葉に傷付けられている親御さんがいる事に、とても胸を痛めました。

医者は親御さんに対し「何故、もっと早く連れてこなかったのか?」とか、病気の原因を母親から尋ねられた際に「原因はありません、ただツイてなかったというだけです」などと云われ、深く心に傷を負います。

もちろん、全ての医療者がこの様な対応をしているわけではありませんが、私自身も、時にお医者さんからの事務的かつ説明不足な病状の説明(専門的な言葉を使われても分かりませんし、ドイツ語で描かれたカルテを見せられても勿論読めません)に大きな疑問や憤りを持ち、不信感を覚えた事がありました。

特に大学病院や総合病院は医者や看護師長の権限が強く、がんじがらめのルールによって、病院の都合が優先される医療現場の体制に粗雑に扱われるケースがあります。(決して全ての病院がそうではありません)

子供との面会時間が「午前10時〜午後10時(2019年までは午後3時〜午後8時でした)」と厳密に決められており、子供は一人病室に取り残され、強制的に親から引き離されます。

突如にして日常の生活を奪われ病室に隔離された子供たちは、検査と称して頻繁に採血が行われ、生体検査で体内の病変の一部を採取されます。

そして手術や放射線治療、薬物療法、それに伴う副作用や後遺症による自身の身体の変調や痛み、高熱・悪寒・震え、神経障害による痺れ、眉やまつ毛に至るまでの脱毛などが、子供自身に満足な説明も行われないままに行われているが現状です。

病院によっては、幼い子供への病名告知を濁す風潮があり「悪いバイキンをやっつける為」などという抽象的な理由で、子供たちは辛い治療に向き合わなけらばいけないのです。

また、子供の入院には親御さんの24時間の付き添いを義務付けているところもあり、その為に母親が仕事を休んで病院のロビーや駐車場の車で寝泊まりをしながら、子供の世話や診察や治療、薬を飲ませることなどの説得やケアを強いられたりします。

看護師長から、「お母さん、子供を泣き止ませてください」とか「検査の為に寝かせつけてください」とか無理難題を言われたりした母親もいます。

一般成人のいる病室の中、駄々をこねて騒ぎだす子供を周りの患者や看護師の目を気にして叱りつけたり、つい手をあげてしまった母親もおり、その罪悪感からずっと苦しみ続けていたりします。

また、感染予防の観点から子供のきょうだいや友人の面会謝絶、お母さんの手作り料理を口にできないなど、病院主導のルールが多数存在しています。

そんな状況の中で、入院する子供たちのみならずその家族たちも精神的に追い詰められるだけならず、経済的にも困窮していきます。

病院が自宅から遠い場合は引っ越しを選択する、もしくはマンスリーマンションを借りるなど、両親は子供の側にいられる環境を作ろうとします。その為、仕事を休職したり退職せざる追えなくなるのです。

幼いお子さんを持つ親御さんは、20代〜30代前半でこれまで共働きで生計をたてていたケースも多く、仕事の休職や退職は経済的に大きな負担を強いられます。

親戚や消費者金融などにお金を借り、首が回らなくなってしまったりする方々も多数いるのです。

また、幼いきょうだいがいる家庭は、母親が病院に言ってる間は託児所に預けたり親戚の家に預けたりします。

病気の子供に時間と労力を取られてしまう両親から、疎外感を感じる幼いきょうだいも多く、また意見の違いや疲弊した生活により夫婦での衝突も増えて、喧嘩が絶えなくなったりします。

そんな状況を、病気の子供は敏感に感じ取ります。

自分の病気のせいでこうなった」「自分のせいで母親を苦しませている」などと塞ぎ込み、次第に「快活だった子供」から病院にとっての「良い患者」を演じるようになります。

そうやって辛い手術や治療、その病院生活を受け入れるようになっていきます。

初めのうちこそ必死に抵抗したりしますが、次第に体力が衰え「言うだけ無駄」と悟り諦めるようになるのです。

病院は多くの子供にとって『怖い場所』であり、医者や看護師はきちんと説明もせずに検査や採血、抗癌剤を投与し治療や手術を強要する『怖い存在』であったりします。(決して全てがそうではありません)

病院の中では、子供は病院にとっての『良い患者』であることを求められます。

痛みに耐え、素直に治療を受け、文句一ついわずに眠ったり食事をしたりするのが良しとされるのです。

それは子供らしさという事からかけ離れた事であり、大変に大きなストレスとなるはずです。

そんな病院の中に、子供同士が楽しく過ごせたり、週に何度かでも親が泊まることができる環境、兄弟姉妹の入室が許可せれる部屋があればどんなに良いでしょうか。

病気と闘う子供とその家族にとって、安心して過ごせる新しい場所。

子供たちには「小児緩和ケア」を提供し、同世代と同じ経験や遊び、学びの機会を与え、一人ひとりの成長や発達をしっかり支えていく。

家族には休息の時間をもたらしながらも、子供の病気について気軽に話せたり悩みを分かち合えたりする事ができる繋がりの場をつくる。

それこそが『こどもホスピス』の定義です。

「ホスピス=死を看取る場所」ではなく、「ホスピス=一緒に生きるための場所」なのです。

小児緩和治療におけるシステムの問題

日本では大人向けの医療や介護、福祉サービスが比較的充実しています。

その中に「障害福祉サービス」がありますが、それらのサービスを享受する為には「障害者手帳」が必要です。

しかし、取得にはかなりの手続きと時間を要する為、短い余命を宣告されている子供にとって、例え取得が出来たとしてもサービスを享受できる時間が限られてしまいます。

その為に「どうせ短い時間しか使えないのなら、取得の労力をかけても意味がない」と申請を諦める両親もいます。

そして、一般的に小児難病治療にかかる費用は「小児慢性特定疾病医療費助成制度」により大半を補える事ができます。

しかし、家族の生活費までは補償するものではないために、母親が24時間の付き添いになったりすると仕事を続けることができず、生活困窮に陥るケースに繋がるのです。

WHO(世界保険機関)が出した「小児がん疼痛緩和の為のガイドライン」では、「緩和ケア」とは、『身体』『精神』『スピリット』への積極的かつ全人的なケアであり、家族へのケアの提供も含まれます。

それは、疾患が診断された時に始まり、根治的な治療の有無に抱わらず継続的に提供されるとされているのです。

しかしながら、日本に成人用ホスピスは多数あっても、小児ホスピスの設立はハードルが高いとされているのです。

その要因として、成人用ホスピスを支えるのは膨大な患者数であり、日本全国で毎年37万人がガンで命を落としています。それが故に、ホスピス経営が成り立っているのです。

一方、小児がんで死亡する患者の数は年に数百人であり、ホスピスを設立しても経営が立ち行かないというのが現状です。

そんな中、2012年に厚生労働省が発表した「第二期がん対策推進基本計画」に「小児へのがん対策の充実」が盛り込まれました。

この計画の重要な要件の一つに、「小児がん拠点病院の設置」は成人と同じく全国に小児の拠点病院をつくり、そこで専門的な治療を行うようにするというものでした。

これを機に小児緩和医療の輪が徐々に広がりを見せ、2012年11月に日本で最初の「こどもホスピス」が誕生すると、2016年には「TSURUMIホスピス」、そして2018年2月には「第一回全国こどもホスピスサミット」が横浜で開催され、沢山の医療関係者、ソーシャルワーカーやボランティア、難病と闘う子供たちやその家族たちが集いました。

小児医療と寄り添う『QOL(Quality Of Life)』という考え

子供は亡くなるその瞬間まで成長し続けます。

病気の影響で痛みがあり、苦しかったとしても「あんな風にあそびたい」「次はこんな事をやってみよう」と考え続けます。

子供にとって、学校や幼稚園に行けず病室に閉じ込められる状況はとても孤独な環境です。

世界から取り残され、友達や先生にも存在を忘れられた様な悲しい気持ちになってしまいます。

そんな子供たちにとって、病室から出てランドセルやカバンを抱え教室へ行けるのは、とてつもなく嬉しい出来事です。

教室で友達とおしゃべりしたり勉強ができる、遊んだり恋をしたりする、そんな当たり前の日常が、院内の中で出来ることができれば、その時は患者ではなく本来の子供の姿に戻ることができるのです。

病院では厳密なルールにより遊びが制限されてしまいます。

しかし、子供とは遊びたい盛りであり、体調が良い時に遊べるだけ遊ぼうと大きな声を張り上げてはしゃぎたいのです。

「こどもホスピス」ではそんな空間が設計され、子供たちだけでなく家族や兄弟姉妹も憩いの場で時間を過ごすことが出来るのです。

家族全員で入れるお風呂や母親の手料理が作れるキッチンがあり、家族全員で宿泊することもできます。

友達を呼んで誕生パーティーをすることも出来ますし、映画を観たりコンサートや様々なイベントも行われ参加する事が出来ます。

医者と看護師や保育士、ボランティアスタッフにホスピタル・プレイ・スペシャリストも随時滞在しており、突発的な状況にも速やかに対応ができ、病院との連携も取る事ができます。

運営や一般認知に至るまの課題はまだまだ多いですが、たくさんの人の想いと子供たちの願いの上に、「こどもホスピス」の輪は確実に広がりつつあります。

子供は一人で病気と闘うというより、治療の中で家族の愛情を感じられることに喜びを見出します。

「ママが味方でいてくれる事が嬉しい」

この言葉に全てが表れている気がしました。

また、大人が思っている以上に子供は色々な事を敏感に感じとりながら、繊細に物事を考え、時に自分自身を追い詰めてしまったりします。

「自分がいなくなって、ママが悲しむのが嫌」

「自分のせいでみんなを苦しめている」

医者や両親の病気に対する嘘を見抜き、自分の病名を知らないふりする子供もいます。

特に余命宣告をされた際に、それを本人に告げるかどうかはとても難しい問題です。

それが、これから沢山の未来が開けているはずだった子供たちともなれば、尚更です。

そして、どの様な治療や手術をどこでどの様にするかもまた難しい問題であり、放射線治療や抗がん剤治療は強い副作用により苦しまされてしまうのも事実です。

あるお医者さんの言葉にこんな言葉がありました。

「必要なのは、治る見込みのない幼い子供に苦しい治療を強いることではなく、子供の残された命を充実させてあげることです。それが出来れば、子供も両親の元に生まれてきた事を良かったと思うし、両親もまた、子供を授かって良かったと思えるはずです」

緩和医療を行う上で『QOL(Quolity of Life)』という言葉が使われます。

『人生に於いてどれぐらい長く生きたかは問題ではなく、どう生きたが大切である』

あのホスピスで出会った少女と見てきたモノを通じて、今も尚、自分自身に言い聞かせている言葉です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?