日蓮聖人の「念仏無間」という名称についての考察

日蓮聖人の念仏批判で有名な「念仏無間」(念仏を唱えれば地獄に堕ちる)という言葉を使ったのは当時の浄土宗の信徒たちが「法華経を読む者は地獄に堕ちる」と述べた事に対する反論の可能性がある。順を追って説明していく。

まず日蓮聖人の言葉に「念仏無間」という言葉が出てくるのは真蹟遺文の中では(しんせき 日蓮聖人が書いたものが現存していて、本人が書いたものであることが確定しているもの)、『行敏訴状御会通』(ぎょうびんそじょうおんえつう)(文永八年 1271)である。ここに「又云く念仏無間業」という言葉から、なぜ念仏が地獄に堕ちる信仰なのかについて述べている。また真蹟が現存していないものの中では早くも建長七年(1255 立教開宗から二年後)には『念仏無間地獄鈔』(ねんぶつむげんじごくしょう)に「念仏は無間地獄之業因也」と述べられ、さらに「念仏無間」と同じ意味で念仏を唱える者は地獄に堕ちるという言葉は形を変えて様々な書簡に残されており、今日における有名な四箇格言(念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊)の一つにまで数えられるようになった。

これらの「念仏無間」あるいは「念仏は地獄に堕ちる」という表現を用いたのは教義的な問題だけでは無く、浄土宗の信徒たちの行動にも一つ起因しているのでは無いか、と考えられる。その証左が無住法師という人物が書いた『沙石集』という書物なのだ。同書の第一巻の「浄土門之人神明を軽んじて罰をこうむる事」の章に「千部の法華経を読みたる持経者あり。ある念仏者、勧めて念仏門に入れて、法華経よむものは必ず地獄に堕ちるなり。」と述べた事が記されている。そして、法華経を捨てて念仏の信仰に切り替えた人物が最期、あくらつな死に方をしてしまったのを、念仏者たちは「この人は法華経を読むという業を犯したからその罪となってこうした死に方をしてしまったのだ。その罪が消えて極楽へ往生したのだ。」と解釈した話が残っている。同書の作者はこの事を批判している。おそらく日蓮聖人もこうした言説を聞き及んでいたのではないか、と考えられる。それはここではいったん省略するが、この沙石集の内容は多く日蓮聖人の書簡に残る知識や資料と共通する点が多く、無住法師と日蓮聖人は類似の典拠や共通の情報源を持っていたり学んでいた可能性が高いからだ。よって、上記の事を日蓮聖人もお聞きになられていた可能性は高いと考える。またこれらの浄土宗の言節も事実である可能性は高い。何故なら法然上人在世の浄土宗でさえ、わざわざ法然上人が他宗に対しての批判を抑えた事(詳しく内容を記せば『七か条起請文』「未だ一句の文をも窺うかがわずして真言・止観を破し奉り、余の仏・菩薩を謗ずることを停止すべき事、無智の身をもって有智の人に対し、別行の輩に遇いて好みて諍論を致すを停止すべき事、別解別行の人に対し愚痴偏執の心をもってまさに本業を棄置すべしと称し、あながちにこれを嫌い嗤うことを停止すべき事」など)を考えれば、そうした法然上人の管理の届かない無法者たちが居た事は事実であるし、法然上人のご遷化の後は益々そうであっただろう。親鸞聖人の書簡にもこれらについての事が記され、また『沙石集』には上記の件以外の狼藉も多く記されている。

故に日蓮聖人の「念仏は地獄の業」であるという表現もこうした浄土宗の信徒たちの言節に対する、言葉を言い換えた反論である可能性があるのだ。

実は同様のパターンは日蓮聖人の真言宗批判にも表れているのだ。日蓮聖人は真言宗や密教が法華経や天台宗の教えを「盗んだ」という文を各所で述べているのだが、これも弘法大師が『弁顕密二経論』の中で「震旦(しんたん 中国の事)の人師等、醍醐(究極の教え)を争い盗んで、おのおの自宗に名づく。」つまりは密教以外の宗派は全て自らの教えを究極の教えと思い、本当の究極の教えであるはずの密教からその立場を奪ったのだ、と述べており、これに対する反論として、密教が天台から奪ったのだ、と述べているのである。

こうした所に日蓮聖人の諸宗批判の表現の性格が読み取れるように思える。拙いながらもメモ代わりに記す。


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