「自らの性分」

自分とはどういう人間なんだろう。誰もが人生の中で自問自答する。僕も自問自答を繰り返してきた。道草を食う中で、「自分探し」は意味がない、「自分づくり」の方が実質的だし気楽だと思って、今もそのスタイルを貫いている。

大学生の頃に出会った教育者ルドルフ・シュタイナーの詩を紹介しよう。

『自分の中に「自分」を求めようとすると、迷路に迷い込むだけだ。自分の中に「自分」を探すのではなく、自分の外に「自分」を求めなさい。自分の外に「自分」を探しなさい。外からの課題に身をゆだねることによって、あなたは「自分」に出会うだろう。』

僕は人と会うのが好きだが2時間ぐらいで飽きるというか疲れてしまう。読書も好きだが2時間ぐらいで飽きる。運動も勉強も仕事も同じだ。でも一人でいるのはいくらでもいけるし、映画は1本で飽き足らず3本楽しめる。数日前に版画を摺ったが4時間あっと言う間に過ぎてしまった。ここからわかることは課題に身をゆだねた結果、僕は孤独とか映画とか版画に没頭しやすい性分だということだ。これの繰り返しで自らの性分に気づき、方向性を修正してきた。

自らの性分に気づくと生きやすくなる。性分に基づいた生活を営むことの豊かさに気づくと心が漲る。漲ることは重要だ。ホームベースを確実に踏むには「漲ること」、つまり、そのサインは「squeeze」だ。

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