「竹材の扱い」

盆。墓参りへ行く。おばあちゃんに面倒を見てもらったこともあり、墓前では少しセンチメンタルな気分に浸ってから感謝と決意を残して去る。また来年来るわ。

帰り道の路地、竹材店の店先に竹ぼうきが並んでいた。僕は掃除機を使わない。ほうきで掃くスタイル。誰もいない店先から「すみません」と声をかける。出てきた主人と話す。店先の中国製は1000円足らず。控えめな主人にお願いして、手づくりの品を奥から出してもらった。値段は中国製の5倍以上だが値打は遥か上を行く。

良い竹から、良い枝を選び、良い塩梅に設計して、良い仕事を施し、良い品となる。担い手が引退していく中、主人も割に合わないながら乞われて出来る範囲でつくっているそうだ。そんな主人の空気感に僕は惹かれた。一流が備える謙虚さと自信、それを隠そうとするが滲み出るオーラは隠せない。

京都に行く度に思う。文化の成熟度。なんの変哲もない路地にとんでもない人がいる。夜空に瞬く流れ星より苔むした庭になりたいと思わされる夏の一日。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?