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タイ・ミャンマー雑記①『スカラ座の椅子』

新作公演が、2月、4月、5月、そしてクライアントワークが7月とたて続き、頭の中はもうカスカス、これは一回休みを取らんとどうにもならん。と、仕事の区切りがついた翌日から、2週間の夏休みを取ることにした。

こんなに長い休みを取るのは、大学卒業して以来のことだった。
スケジュール管理が苦手なので、“死んでも休む”とGoogle カレンダーに記入した日でさえ、入れたい予定があると反射的に入れてしまい、あとあと首を締める……ということの繰り返しだった。

しかし、今回はちょっとほんとにだめだった。
ラジオの運営や、週一スナックのオーナーなど、新しいことが始まり楽しい半面、“これからどうしていこうか考えなくちゃ”“mizhenの今後の活動方針考えなきゃ”“あれのためにはあれもしなくちゃこれもしなくちゃ”“仕事しなくちゃ”“でも勉強しなくちゃ”と、気ばかりが焦ってしまっていた。

そういや、しばらく心から泣く、ということもなかった。
映画館や劇場や美術館で、涙腺が緩みかけることはあっても、
心が殻につつまれているかのようで、涙が染み出してくることはなかった。

夏休みを取るぞ、と決めてすぐ、
とりあえず、バンコクの往復航空券を買った。
タイやミャンマーあたりならそんなにお金もかからずフラフラできるだろう、というぐらいの選択だった。

周りには、「夏休みを取るんです」とだけ伝え、行き先は言わなかった。

もし言ったら、そのあときっと「その辺、行ったことあります?」とか聞いちゃうだろう。「ある」と言われたら、「オススメとかあります?」と聞いちゃうだろう。それでタイやミャンマーのおすすめスポットを紹介されたら、向こうに友人がいるよ、などど教えてもらったら、
わたしはきっと、「せっかくのご縁だからその予定を取り入れねば」
と、思ってしまうだろう。

そう考え、ほとんど誰にも告げなかった。
どこか行くの?と聞かれても「答えませんっ!」と返していた。(余計怪しい)

別におすすめを聞いても行きたくなければ行かんでいい話なのだけど、
まあ、相当疲れていたんだろうと思う。

7月12日。ある大きなクライアントワークを無事終え、その夜の木曜のスナックの営業も無事終了し(この日は疲れすぎていて本当にひどかった)
徹夜で作業をして寝坊を防ぎ、始発で成田に向かう。

ハノイを経由して夜。バンコクについた。蒸し暑いが日本と同じくらい。
海外に訪れるのは、10年ぶりぐらいのことだった。

しかしようやく日本を離れたぞ、と思いつつ、どこか落ち着かない。
宿についても、なにか日本でやり残した仕事はなかったか、気がかりになってくる。
その日は、宿のTVのK-POP特集を見るともなく見たりしながら、いつの間にか寝た。

翌朝、バンコクの町をうろうろする。
観光客も多いし、東京と似ている。
有名なパゴダ(仏塔)にいこうかと思うが、全然行きたい気分ではなく辞める。
バンコク語は読めない。日本語は聞こえてこない。
やりとりするのは英語だけど、何か買いたいときとか、道を聞きたいときとか、必要最低限のことしか話さないので、ほとんど誰とも話さずに時間がすぎていく。
わたしの頭の中に走る日本語が、より一層際立つ。

タイのセブンイレブンを見つける。なにかそれを言葉で描写しようとする。いい、いまは描写なんてしなくていい。空を見て、ふと、日本での気がかりな人間関係のことを思い返したりする。いい、いまはそんなの考えなくていいの。身体の声を聴こう。横隔膜があがっているな。足が地面についている感じが弱いです。つまり身体が緊張している。だめだ。せっかく東京を離れたんだから、しっかり休まねば。ここ、異国の地なんだからさ。仕事も一区切りついたわけだし。でも、休まねば、って、またその「ねば」ばっかり。「ねば」って考えるその思考がわたしの身体を矮小化してるんだって、いつになったらわかるんかな。ああ、うるさいうるさいうるさい。

チャオプラヤー川沿いのカフェで、ビールを頼む。
バンコクで読もうと楽しみに持ってきていた本がある。
チェルフィッチュの岡田利規さんが、タイの小説をもとにタイの俳優と共作した『プラータナー:憑依のポートレート』という演劇作品のガイドブック『憑依のバンコクオレンジブック』だ。

『プラータナー〜』は、評判を聞き、どうしても観たかったけど稽古で都合つかず観れなかった作品だった。

美しい装丁のページを開いていく。
やっぱりおもしろそうな作品だったんだなー観たかったなーと思いながら、
2,3ページ目で、
ああ、だめだ。なんかもういま読めないや。
と、本を閉じてしまった。

眼の前にはビールとチャオプラヤー川である。
こんなに長閑なのに。
なんでリラックスしないんだろう。
伸びをしてみるが、身体は落ち着かないままだ。

チャオプラヤー川の前やのにな。
チャオプラヤー川、って、ほら、口に出すだけでも楽しいのにな。
チャオプラヤー川。

のどかなシチュエーションにも身体がのどかになってくれないので、
もう、いっそ映画でも観るか!
と、映画館をネットで探すと、サイアム駅の近くに『スカラ座』という映画館を見つけた。
そこではなんと、日本の『日々是好日』を上演している。

大好きな樹木希林が出演、とあって、見に行くことにした。

『スカラ座』に到着。
できるだけテンションを上げよう、と、Spriteとポテチを買う。
映画チケットは1枚200バーツ。700円ちょい。安い。

ロビーで開場を待っていると、
「バンコクまで来て日本の映画観るかね〜」と、また頭の中でつっこみが入る。うるさいな。いいんだよ。わたしゃ休むんだよ。夏休みの間に元気にならないとだめなんだよ。スナックも任せてるしそうしないとさほら……ほら、また「だめなんだよ」って言い出してる。あんたはずーっと「ねばねば」言ってるな。ねばねばねばねば。そのうちオクラになるぞ。そんなだからあんたは。

頭は一人しゃべり続けた。

開場時間になり、ドアが開く。
赤い絨毯がしきつめられた、古いけれども美しくて味わいのあるシアターだった。

階段を降りていき、チケットの番号、自分の席に着席する。
座った途端、ぽろぽろと涙がこぼれた。

もちろん、まだ上映は始まっていない。
「!?」

自分でもはじめ、一体何が起こったのか、わからなかった。
ただただ、心がふやけ、涙が止まらなかったのだ。

「許されている」と、思った。
「この場所でわたしは、人は、許されるんだ」と、思った。

映画館の空間を見つめながら涙を垂らしていると
「映画館は、劇場は、人間を許す場所だ」
「フィクションは、人間を肯定するんだ」
という言葉が腹から浮かんできた。

ああ、わたしはきっと、誰かに許されたかったんだ。
そのために、誰かを許したかったんだ。

バンコクに着いてから、やはり慣れない土地で、
わたしはその場所で圧倒的“マイノリティ”だった。いくら川沿いを歩いたとしても、身体は気を張っている状態で、ピリピリしていたのだと思う。

そんなとき、入った『スカラ座』は、映画館というただその存在、“フィクションのための場所”というだけで、私にとっては心のシェルターとなった。

『日々是好日』は、主演の黒木華が大学生の頃から樹木希林のもとで茶道を習い始め、お茶の世界に戸惑いながらも次第にはまっていき、人生の側にお茶がある、という女性の40過ぎまでを描いた作品だ。

特別に大きなドラマが起こるわけでもなく、さりげない日常を描いた映画だった。それが、この日観るのにちょうど良かった。

わたしは紛れもなくこの日、ささやかなフィクションに心から救われた。
いい仕事やんか、フィクション作るのって。
映画館を出た頃には、心は幾分か軽くなっていた。

映画館の前で客待ちをしているトゥクトゥクのおじさんに声をかけた。
いくらか聞くと、200バーツ、と帰ってきた。
「NO,100」
バンコクに来て初めて、強気で値切った。


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