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久しぶりに東京に行って。

久しぶりに、日々個人的に記録しているものとは別に、書いておきたくなったので、少しだけ。

豊岡に移住したのが今年の3月1日。
移住してはじめて、東京へ行った(帰った)

滞在させてもらっていた場所が、松本に移住するまで東京で最も長く暮らした街だったので、東京に行った、というよりも、東京で暮らす日常に短期間戻った、という感覚に近かった。毎日通っていたパン屋に通い、商店街を歩けば知り合いに会った。

東京滞在の目的は、演劇の実演家と劇場関係者を対象にしたシアターエデュケーション(演劇教育)の3日間のワークショップの受講と、『家族における遊び』を考える企画のアイディア出しの仕事(説明がちょっとややこしいので詳細割愛)のため。東京滞在期間中、1日だけ奈良に移動して、高校演劇の審査もした。

予定の合間に友人と会ったり、今後の仕事の打ち合わせをしたり、とにかく毎日ずっと誰かと話していた。

ワークショップが持つ権力について。
ハラスメントについて。
家族の在り方について。
ジェンダーロールについて。
成長を強いる社会について。
地域が変容するために必要な暴力、そのジレンマについて。
学校教育について。
『プリズン・サークル』について。
演技を学ぶ本質について。
学生の居場所について。
福祉と芸術について。
やまゆり事件について。
意志と責任について。


振り返ると、ずっと一つのこと、その周辺について話していた気がする。

みんな透明な何か(存在を脅かすもの)に傷つき、怒り、それぞれの戦い方で抗っていた。

アイディアや理念が違う人であれ、てんでバラバラなのだけれど、その実、全くバラバラではない、同時代に関係して居合わせてしまっていること。
同じ時代の傷を負ってしまっているということを実感して、妙に励まされた。みんな中指立ててるやんか、と。

今回の東京滞在期間中、ふと、気づいたことがある。
それは、いつの間にか“ただいまの場所”が消えていたこと。
これまでは、現住所のある場所が特定の家的な存在、“ただいまの場所”だった。大学時代京都にいたときも、東京に上京したときも、松本に移住したときも、居住してしばらく経つと必ず「あ、ここが“ただいま”の場所になった」と身体で気づく瞬間があった。

今回、東京に来て豊岡を振り返ったとき、そこは“ただいまの場所”ではなかった。そして東京含め他のどの場所を思い浮かべても、特定の“ただいまの場所”はなかった。ただ、また会いたい人の顔が浮かんだだけだった。
ん・・? ただいまの場所、いつの間にか消えたぞ?と思い、どうしてだろう、と考えた。消えた、と言っても、悲観的な気持ちはない。

これまで、出会いや関係性、気持ちの変化で移動せざるを得ない状況になる度に、住まいを変えた。引っ越すぞ!という意志から引っ越したことは一度もなかった。紆余曲折あり豊岡に移住したのは、人生で25回目の引っ越しだった。そして、そんなに移動しておきながら、実は、移動してしまうことへの劣等感がずっとあった。ひとつの場所でひとつの営みをする、何か継続する、という態度に憧れながらも、どうしても続かない。場所を耕す人を敬愛しながら、どうしてもそれに興味が持てない。人それぞれ得手不得手だからと、気にしないように努めても、どこかでずっと、自分の性質を許せていなかった。
私は現在特定のパートナーシップを結ぶ人はいないし、必ずしも必要だとは思わないけれど、継続への劣等感は、結婚や家族を持つことに対する強迫観念とも結びついていたと思う。土地であれ、人間関係であれ、何かと固く結んで(誓って)生きられないことが、どうにも後ろめたかった。

豊岡に移住して踊りを見つめる時間を重ねる中で、最近、自分が大事にしていることが、じわじわと分かってきた。ここ数年、創るという行為が疑わしくなって、進むことが難しくなってしまい、何か足りない、何が足りないのだろうと思っていたけど、必要なピースは、探すものではなく、いつもずっと、私と共にあったもの、だった。(それは暗い押し入れの端っこで、キラッと光った小さいガラス玉を見つけたような気持ちだった。ずっと、ここにおったやんか、と。)

“ただいまの場所”はない。
でも、どこにいても自分が生きる上で大事な(“これ”)はずっとある、とおもう。“これ”に気づいたから、特定の場所が関係ないことを許せるようになったのかもしれない。

自分は何も積み重ねることはできないし、何も継続して耕すことはできないけど、どこにいても大事にしている“これ”はあって、“これ”は出会う人との関係性の中で、場所問わずひらくことができるんじゃないか。だとすれば、宙ぶらりんの立ち方を、ヨシ、と思える。帰らずとも、出会い続ければいいから。

東京滞在での発見は、一枚、心のかさぶたをめくったような、ちょっと痛いけど、清々しさを予感する事件だった。

歳を重ねると、許せることが増えてくる。

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(友人が作ってくれた濃厚ラーメン)




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