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また移住、ひらいた「しんしんし」

「なんで移住したの?」
「なんでしんしんしを始めたの?」

と聞かれることが多いので、その辺りについて少し詳しく書こうと思います。(※公開でFacebookに書いたものの加筆修正版です。)

さて、実は、心身すこぶる元気なのですが、最近色んな事が結構きつくなってきました。映画もラジオも演劇も、ちょっとした広告も、いろんなものに触れるのが難しくなってしまった。

違和感自体はずっとあって、それがどんどん濃くなったという感じなんですが、バリっと一枚はがれてしまったきっかけはおそらくMe too以降、とはいっても全くジェンダーのことに限った話ではなく、

何かを素材にする、人を、誰かを、町を、土地を、消費して素材にして「つかう」という態度が、どうも、しんどくなってしまいました。自分は「つかわれる」に値するかという社会の強迫観念も。

あなたの「強み」はなんですか?という問いかけ、「自己肯定感」という言葉、未だに描かれる都合の良い女性像、人を見下した声、際立った差異をすべてコンテンツ化する眼差し、主催者と観客の消費を許し合う態度。

つかう、つかわれる、その態度に触れるたび、社会の網目の一部として、被害でもあり加害でもあるこの傷をどうすればいいのか、行き場がなかった。
それは、「素材にするな」と標ぼうするアートの業界でも、そんなことないですよという顔をしながらめちゃくちゃ起こっていることで、かくいうわたしも、どうにか食っていきたくてとりあえず自己を生き延びさせることが最優先だった時期、たくさん選び間違えをしてしまった。そして、いまも、選び間違う可能性は孕んでいます。

コロナよりも前、少し納得いかない2つの現場で(それは誰かを傷つけるような事件があったわけではなく、大事なことを掲げ、非常に円満なイイ雰囲気の現場で、それでもうっすらと漂う雑な態度に対して仕事を全うする中での抗い方がわからなかった、という程度のものだったのですが)、一つは、終わったその日に意識を失い、一つは、終わったその日に全身ブツブツができてしまった、ということがありました。

こんな些細な違和感でも、もうあかんか、と、身体が嫌がることはやめとこう、と、そこから生業の延命のため、見ごたえのため、説得力のため、という言い訳に対して、人や土地を素材と扱ってしまう態度に、自他ともにしゃーないな、と思えなくなってしまった。

2020年に、高校生と創る演劇で、愛知県の高校生と一か月半ほど一緒に創作をしたのも、大きかった。今与えられた環境で生き方に苦しむ高校生を目の当たりにして、自分が違和感を感じる以上に、高校生を苦しませる社会に腹が立ち、変化の一部として自分が何ができるのか、自問自答していました。
「どんなあなたでも、その存在が大事」と、高校生一人一人に向きあうとき、「“どんなあなたでも”と、それを自分にも言えるか?」と自分への問い返しが頭によぎります。目の前の相手には本気で言えても、自分に言い切るのは難しいと気づきました。高校生と同様、私も、生き方に迷う一人だった。自分に言い切れないことは、相手に本当に言えたとは言えない。どうにか、自分にも相手にも同じく「どんなんでも、生きとってええがな」と言いたかった。

本来なら、この違和感を基に、社会をずらしたり揺らしたりする道を体現することが芸術分野の役割だと思うのですが、でも、わたしは、どっから始めなおせばいいか、分からなくなっていました。
何か考えようとすると、手に掴む言葉のほとんどに違和感があり、これまでの時代で使われてきた言葉も思考もはがして立ち止まって考えたいのに、これだけは確かだ、と持てる道具や武器が見当たらなかった。

仕事や開催したイベントがたとえ好評であったとしても、確かさをつかめないまま落ち込む日々が続き、もう誰とも喋らず数ヵ月ほど山籠もりでもするか、と計画していたのが去年の秋ごろ。

そんなタイミングで、昨年11月3日、豊岡で知念大地の踊りと出会いました。「同時代にこんなに進んだ身体があったんや」と衝撃を受け、出会ったからには「辞めるか革命やな」とも思いました。(この頃はまだ、一人で何かしなければと思っていた)

この時のパフォーマンスについては、寄稿した文があるので、こちらをお読みください。
▼藤原佳奈「景の会、応答」


そして、こうしたわたしの個人的な事情とは関係なく、景の会vol.3を観た3日後、10年ほど共に創作したユニット“「mizhen」のおわり”を公表しました(数か月前におわることは決まっていました)。

上記の景の会の文章は、mizhenのおわりを公表した夜に書いたものです。つまり、ちょうどmizhenを終え、これから何を始めて行こうか考えていた時期でもありました。

そして12月。鳥取の用瀬で鈴木南音さん、知念大地さん、藤原の3人で10日間ほど滞在制作をすることになりました。何をやるかとくに決めずに集まったのですが、初めて集った3人で、堰を切ったようにそれぞれ最近感じる違和感について話しました。話していくと必ず「今、身体からはじめなおすこと」に焦点があたり、「どうして人は、理由なくただ在る、というだけのことが難しいのだろう」と、延々と話していました。この滞在で言葉を交わしながら、これまで個人で抱えていた違和感が、ようやく足元に着地したような感覚がありました。踊りを起点とした、ここからなら始めなおせる、と直感して、滞在中に引っ越しを決め、知念さんと相談し、「しんしんし」をはじめることにしました。

3月1日、兵庫県豊岡市に移住。兵庫県の姫路生まれなので、定義上、(想定外の)Uターンでした。(全然関係ないですが、豊岡は姫路ナンバーなので、姫路ナンバーが目に付くたび、山をまたいで偉そうにして……と、申し訳ない気持ちになります。)
ご縁で借りることになった一軒家を拠点に、DIYで踊り場を作り、5月4日に「しんしんし を ひらく」を開催。

しんしんし、が、はじまりました。

伊吹春香さんによるイラストとロゴ


「あなたとわたしの尊厳を確認する」、「ただ在る、をOKにする」
踊りをきっかっけに、そうした空間を一瞬でも生むこと、そこから考え直してみること、わたしたちの変化の起点を見つけること、その態度の実践が、しんしんしの取り組みです。

※「踊り」についてはこちらをお読みください。


今、わたしは生きているから、わたしがしんどい、ということは、今、生きているどこかの誰かも同じようにしんどいはずや、と思ってます、厳密に個人だけに帰結する話というのは、同じ社会で生きてる以上存在しないはずです。このしんどさは今、この世界に働く力学の話で、全ての傷は、尊厳の話だと思っています。

態度の実践に挑みながら、集ってくれる方と一緒に、「しんしんし」を耕やしていきたいと思っています。但馬地域に限らず、いろんな場所へ出向くつもりなので、これから、どうぞよろしくお願いいたします。

最後に。
「あなたは演劇家じゃなかったの?」「しんしんしでは演劇やらないの?演出なの?制作なの?」と、何人かに聞かれたのですが、
今、おそらく、わたしは演劇を解体している時期なのだと思います。
人間のモードを“態”と呼んだりしながら、人の「身体」に惹かれて演劇の作家と演出家をやっていましたが、「身体」について、もっと知る方法を探していたねんな、と、今になって思います。今大事だと思う、確かなところからはじめて、必要なことをやっていこう、と決めました。なので役割と肩書にする言葉は、正直ちょっと今よく分かりません。
こう言い切るのは、二か月前だったらめちゃくちゃ怖かっただろうな。
しんしんしと共に、わたしも脱皮し続けます。
確かな変化の一部になるように。



藤原佳奈

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