「ステロイド」のような先生の功罪

先週から口内炎がひどく食べ物も満足に噛めない日が続いていました。寝る前にステロイドの塗り薬を口の中の傷に塗って翌朝起きてみると、傷がかなり治っていました。「自然治癒」に委ねたら何週間も時間がかかっていたかもそれません。それを短時間で効果が見える形で治癒させる。すごい薬ですね。

 学校の先生でもこの「ステロイド」のような先生はいます。様々な業界で・・。吹奏楽だったら、○○先生。陸上だったら、○先生。英語だったら、□□先生。私も実際に学年の合唱指導をどうしようか困っていたときに、業界のドンのような先生がいて、たまにご指導をお願いすることがありました。生徒の引き付け方や指導がきわめて具体的でわかりやすい。 20分弱の指導であっという間に子どもたちの歌声は良くなっていきました。どうしたらこんな短い期間で成果が出る指導ができるのでしょう。その先生は社会人になってから自分で音楽を勉強して、今の指導法を掴んだようです。それも含めてすごいですね。スポーツの世界でも名将と呼ばれる先生は数多くいます。数々の「結果」を出していてすごいです。

この話を少し抽象度を上げると、人は「解決したい課題」があるから仕事をするわけである。薬の役割は自分の傷を癒すこと。上記の例であれば、歌声の質や陸上のフォームや記録タイムであろう。つまり、ステロイドのような先生は「課題解決」のスペシャリストなのである。こういった先生は解くべき課題が明確な時ものすごい力を発揮する。特に学校は構造的には「病院」に似ていて、みんなの課題を解決していく場所である。勉強ができない。できるようにする。運動ができない。できるようにする。ひとりひとり細かな課題は異なるが、何かをステップアップさせるという意味では共通している。学校で実施することは年間計画が立てられ、その中で与えられた業務をこなすことが重視される。課題処理と解決能力は最も大切である。

だが、ここに大きな罠がある。本当に解くべき課題はこれでいいのかという視点が抜け落ちていることだ。私は合唱の指導で困った時は事あるごとに○○先生に相談した。その中で生まれたのが依存心である。合唱で困った時はとりあえず○○先生に聞こう。そういったマインドが自分の中に生まれてしまったのである。目の前の課題をひたすら処理、解決することに日々追われ、本当の問題は何かを見失う。これはとても怖いことである。口内炎の事例でも、表面的な問題は口の中の炎症であるが、その原因となっている本質的な問題は別にあるはずである。これは課題処理や解決能力とは別の力が求められる。課題発見能力だ。実は学校ではこの課題発見能力は全く重視されていない。重視されていないというのは言い過ぎかもしれない。だが、解くべき課題は本当にこれでいいのだろうかと問う機会は自分でしっかり考えないとなかなか生まれてこないのは事実である。

 目の前の業務を解決することでなかなか全体を俯瞰して見る余裕がない。だが、全体を俯瞰して、ゴール(目的)は何か、本質(最も重要なこと)は何かを自問自答していれば、この課題発見能力は身につけられるのではないだろうか。ステロイドを上手く活用しながら、再び口内炎が生じないように食事とストレスに気をつけた生活を送りたい。

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