二者択一論的な思考から脱却しないと・・

 私たちは日々生活をしていると常に選択の機会に直面する。意識的にしろ無意識的にしろ何かを選びとっている。休日に教育系の新書を数冊読んで、日本の戦後の教育政策が振り子の如く、自由主義と管理主義を行き来していることに気がついた。学校の世界でもしばしば改革派と保守派というような2分割で分かれる場面がある。ゆとりか詰め込みか。対面かオンラインか。この論法は教育界だけでなく、政治やメディアの世界でもよく聞かれる。生命か経済か。

 二者択一論のいいところは「分かりやすい」ことである。どんな人でもどちらかで自分の立場を持って意見を表明できる。だからディベートの題材としてはとてもいい。だが、世の中の事象はそんなに単純ではない。思考のフレームにハマると、どちらか一方に「正解」があると勘違いしてしまう恐れがある。現実世界には絶対的な正解などないのだ。オンライン教育がなかなか進まない理由。これは設備面、教職員のスキル面、システム面、多様な理由が考えられる。

 4月からの休校で自分が教えている生徒と教室以外で「繋がれる」仕組みを構築した。そして、学校再開後も対面でできることとオンラインでできることを併用して授業を行った。それぞれのメリット・デメリットを身を持って実感した。あらためて授業をやる目的を明確化しなければならない。それは、この1回の授業という教育活動を通じて何を達成したいのか。ゴールである。これがはっきりしていれば、ブレることはない。例えば、授業後のは何も見ないでこの穴埋めプリントを埋めることができ、○○と△△の違いを簡単に説明できるようになることがゴールだとしたら、それができるようになる方法を考える。そうやって授業づくりを行う。

 オンラインの強みは一言で言えば、効率性である。今まで50分掛けていたことが15分以内で収まる。では残りの35分は「無駄」だったのか。一つのゴールを目指すことに関しては「無駄」なのかもしれない。だが、それを行っている主体は人間である。合理性を追求する中で、不合理な人間を対象としている。教育活動が工場労働と違うのはここである。無駄も実は必要である。対面授業でこのことを実感した。大学受験に合格ということのみを目的とするなら家で受験勉強をひたすら行うことが最も「合理的」であるからだ。一見無駄に思えるような活動に意味があることをしみじみと感じる。久しぶりに会った友人と雑談したり、席替えをしたり。人との関わりが人間に大きな影響を与える。正解はない。今の自分にこの活動はどうか?今日の教育活動はどうだったか、自己を内省して改善していく。その繰り返しである。正解などなく他者との対話を重ねる。二者択一論ではなく、それ以外の選択肢もあることを念頭に置きながら、他者と関わる。悩みなき教師は成長しない。常に自己課題と悩みに向き合う。そんな教師でありたい。

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