勉強は楽しい。
お受けしている仕事の一つが「学び」に関するインタビュー記事の製作で、語り手の言葉が一つひとつ示唆に富んでいてとても楽しい。
インタビューの内容については、納品する記事をお読みいただくとして、ここでは記事を書きながら僕が考えたことを整理してみようと思う。
僕は勉強が嫌いだった。
例えば、暗記は無理だった。高校3年生の漢字小テストで0点を取ったくらいダメだった。
そんな僕だったけど、大学ではひたすら勉強をしていた。なぜなら、勉強が楽しかったから。
ただし、授業はつまらなかった。
だから、成績はパッとしなかった。
興味ない授業は、後ろの席で違う勉強をしていた。
勉強嫌いな僕に何が起こったのか?
大学で勉強していたテーマは
「どうやったら1000年続く組織が作れるのか?」
だった。当時やっていた、幼稚園児から大学生までの演劇グループはどうしたら最高の場にできるのか?
という課題意識からこのテーマを設定した。
そのために、まずはグループの運営を実践する。
いろいろ、上手くいかない。
そこで考える
「なぜ、上手くいかないのか?」
そして、「なぜ、上手くいかないのか?」という問いを持って本屋さんに行く。すると、答えっぽい本がたくさん待っている。
その本を買って読む。
すると、「こうして成功した事例がある」「だからこんな法則があるはずだ」と書いてある。
愚直に信じて実行してみる。
すると、また違う「上手くいかない」が見つかる。
こうして再び本屋さんに行く。
その繰り返しだった。
ただ、当時の僕は、これを勉強だとは思っていなかった。
趣味だと思っていた。
だって、勉強ってのはつまんなくて嫌なもので、楽しいはずがないんだから。
後に、これこそ勉強である事を知る。
そんな話が、書いている記事のインタビューで出てきた。
「学びというものの捉え方を、インプットだけではなく、実践できる状態まで広げて捉える事が大切」
なのだそうだ。
「知っている」と「できる」の間には大きな差がある。
僕は「ワールドカップで優勝するために何をすればいいのか?」を知っている。他のどのチームよりも多くゴールすればいいのだ。
でも、だからといって優勝できる訳ではない。
そこには「知っている」と「できる」の大きな壁がある。
勉強ってのは楽しい。
なぜなら、昨日できなかった事ができるようになるからだ。この快感は何事にも変えがたい。
だから、大学時代の僕は「趣味のようなテンションで勉強」をしていた。これが、大学以前と以後で僕に起こった変化だった。
でも「勉強」の楽しみの先には何が待っているんだろう?
この世のあらゆることが「できる」ように、もし仮になったとしたら、それは一体どんな幸せなんだろうか?
実は勉強によって得られる「できない→できる」という世界には、もう一段上の次元がある気がしている。
それを僕は、まだ蜃気楼のようにゆらゆらとしか捉えられていないんだけど「実行しない自由」と仮に名付けている。
「できる→できない」と「する⇆しない」
「実行しない自由」と対極にあるのが「やるべきこと」だ。「やるべきこと」は呪いのようなもので、一時的に、すごい力を与えてくれるけれど、あとで必ずしっぺ返しが来る。
でも世の中には「やるべきこと」にあふれている。
全てのやるべきことを合計したら、全人類の寿命を超えてしまうんじゃないか?というくらいたくさんある。
僕が予感しているものは、やるべきから解放された「やらない」という自由がある世界だ。
そもそも「全てのやるべきこと」が「できた」世界は、幸せなんだろうか?
「できない」は点の事象だ。
「できない」以外の結果を出せないから。
「できる」は線の事象だ。
「できない→できた」と直線の移動をする。
「やるべき」は線の上のレールだ。
外れることは許されない
(とみんなが思ってるとこが呪いたる由縁だ)
「実行しない自由」は3次元の事象だ。
前にも後ろにも。上下左右にも自由に行ける。
「べき」とさようなら
やるべきの呪いに囚われている人たちはたくさんいる。
例えば、中高年世代のサラリーマン。
会社が「やるべきこと」を供給してくれる中でガムシャラに働いてきた人々。彼らを見ていると、定年後はどう生きていくんだろ?と憐憫の眼差しを向けずにはいられない。
例えば、ソーシャル界隈の人々。
社会が「やるべきこと」を供給してくれる中でガムシャラに活動している人々。彼らを見ていると、「本当はその社会課題が解決したら困るんじゃないか?」と思わずにはいられない人たちがいる。
「やるべき事」はいっぱい、いろいろある。
だから、「できる事」もたっくさん必要だ。
でも、この世のあらゆる事ができる万能な存在、
「どんなやるべきこともできる存在」
は、誰よりも不自由なんじゃないだろうか。
いったいどうすれば「やるべき」の呪いのレールから離陸できるんだろう?「やるべき」から自由になるにはなにをすべきなんだろうか?
そんなことを考えていたら、ふと、案外とこの
「実行しない自由」
は、すでに僕らの手の中にあるんじゃないだろうか?
と、思ったよ、という話は、また今度どこかで。
これは「#週1note」という企画の中で作ったnoteです。
詳しくはこちら
https://note.mu/hiromi_okb/m/mcb1a9c4cee2c
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