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幸せでなくても有意義でなくても「良い人生」はある

以前、こういう記事を書いたことがある私なのですが、

納得する記事を見つけました。

「良い人生とは何か」という問いはいつの時代でも議論になりますが、近年は「幸福」や「人生の意味を見つけること、有意義さ」が「良い人生」の重要な指標と考えられる傾向にあります。しかし、新たな研究では、これらとは定義が異なる「心理的な豊かさ」の重要性が指摘されています。

幸福や有意義であることと、良い人生を切り離して考える方が、豊かに生きられるような気がします。

バージニア大学のシゲヒロ・オーイシ氏とフロリダ大学のエリン・ウェストゲート氏は、「心理的な豊かさ」を幸福や有意義さとは異なり、「さまざまな関心」と「視点の変化を伴う体験」に最も関連しているとのこと。2人によると、「心理的な豊かさ」は「幸福であること」とは異なり、嫌なことや不快感を許容します。

この「嫌なことや不快感を許容する」というところが大事なように思えるのですね。

嫌なことが無いとか、不快感を拒絶する、というのももちろんアリなのですが、そういうものも自分の人生の一部であると許容することが、本来の「豊かさ」では無いかと思うのです。

豊かであるというのは、バリエーションが多いということでは無いかと。

「心理学的な豊かさ」に基づく「良い人生」とは常に楽しみがあることよりも、「異なる視点を探ること」に価値を置いていると言えます。

単一よりも色々な方が、楽しいと思える、そういう人生こそ「良い人生」なんじゃ無いでしょうか。

その意味で、冒頭に挙げた記事の中で、山田ルイ53世の言葉がしっくりくるのです。

「「活躍しよう」とか「輝きましょう」「意味のある生き方をしよう」というのは、一つの意見に過ぎません。「多様性」の時代といいつつ、定型の物語だけを求め過ぎている。糧にならない失敗の時間。何の意味もない無駄な過去。それをそのまま受け入れる。何の意味もなく生きていける、生きていいんだ、という雰囲気がある社会のほうが、僕はまっとうだと思います。」

多様性を受け入れるということが「豊かさ」なのだとしたらば、毎日が何も無いようなぼんやりとしたものであっても、それが楽しめれば、最高だという「何の意味もない人生」を認めることが「豊かな人生」なのだという気がするのです。

「キラキラ輝いて生きる義務など、僕たちにはないのだ」

そこに真実があるような気がします。





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