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坂本勇人選手の2000本安打達成から名球会について考えてみる

巨人軍の坂本勇人選手が、2000本安打を達成した記事で持ちきりです。

坂本隼人2000本安打への道

2006年のドラフトで高校生1位として入団(この年は高校生と大学・社会人の指名が別でした)。実は外れ一位だったことが知られています。巨人は最初、堂上直倫(現中日)を指名して競合し、くじに敗れ、坂本を取ります。

それが、2年目に開幕スタメン、そのままレギュラーとなります。当時のショートのレギュラーだった二岡智宏は肉離れで戦列を離れている間に坂本にレギュラーを奪われ、山本モナとの問題もあってか日本ハムへトレードされてしまいます。人生わからないものです。

それから13年。31歳10ヶ月での2000本安打は史上2位の年少記録、右打者では最年少(年少記録は左打者の榎本喜八なため)、巨人では川上、長島、王、柴田、阿部についで6人目、1783試合での達成は史上8番目のスピードという記録尽くめでの達成です。

巨人坂本勇人内野手が8日のヤクルト24回戦(東京ドーム)でプロ野球53人目の通算2000安打を達成した。初安打は07年9月6日の中日21回戦(ナゴヤドーム)で高橋から。

素晴らしい記録です。年齢的にもキャリア的にも、十分、張本勲さんの3085本という最多安打超えを狙えそうです。

そして、この2000本安打で、坂本選手は名球会入りも果たしました。山本浩二理事長がブレザーを着せてましたよね。

そこで考えたいのは、名球会ってなんだということなんです。

名球会とは何?

野球に興味がない方には、あまり知られてないかもしれませんが、選手がこうした記録を達成すると必ず引き合いに出されるのが、名球会の存在です。

日本プロ野球名球会は、日本プロ野球界の裾野を広げることと社会の恵まれない方々への還元を目的に、1978年7月24日に創設されました。当初投手8名、野手10名だった会員数は、2019年シーズン終了時点で投手16人、野手49人に達しました。

今から42年前に発足した、この会は、当初は親睦団体でしたが、株式会社を経て、今は一般社団法人になっています。

1978年7月24日に発足、1981年9月8日に株式会社に法人化し、2010年10月15日に一般社団法人となる。

Wikipediaを見てみましょう。

当初の入会条件の中に昭和生まれであることが規定されていたため「昭和名球会(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていたが、現在は記録と実績で入会資格の条件を満たせば平成生まれも入会が認められる

そう最初は、昭和名球会と言ってましたね。それは、創立時のメンバーを見ればわかるんですが、この人たちが、自分たちの先輩となる戦前からのプロ野球創成期の人たちを排除したかったから「昭和」なんです。

発足時の会員は18名で、投手は稲尾和久、梶本隆夫、金田正一、小山正明、鈴木啓示、皆川睦雄、村山実、米田哲也の8名。野手は江藤慎一、榎本喜八、王貞治、高木守道、土井正博、長嶋茂雄、野村克也、張本勲、広瀬叔功、山内一弘の10名。

事実上、金田正一のワンマン組織でした。

金田さんは野球選手としてはすごい記録の持ち主ですが、色々と問題も多い方でした。プロ野球の世界でトップに立ちたいという思いも強かった。

具体的に言えば、2000本安打の試合数での最速記録を持っている川上哲治さんが名球会には入っていません。入会規定に昭和生まれ以降とあるためですね。

川上さんは、言わずと知れた打撃の神様であり巨人軍9連覇の監督です。名球会は、こういう方々の権威を排除したかったのだろうと思われます。

投手として通算200勝利以上、または通算250セーブ以上
打者として通算2000安打以上
※ 通算成績には、メジャーリーグでの成績も合算される。ただし、日本プロ野球での記録を起点とする。
特例入会制度
※ 名球会の入会規定に相当する記録保持者が対象

この規定をクリアして、尚入会していない人には、落合博満がいます。群れることを好まない落合さんらしい判断です。

他に退会者として、創設者である金田正一氏、その金田氏と近く新体制に批判的だったという堀内恒夫氏と谷沢健一氏、最初からあまり乗り気でなかったと思われる榎本喜八氏(最年少記録保持者です)がいます。

いろいろな問題はありながらも、野球界への貢献、社会への貢献を行なっている名球会の存在は、徐々に大きくなってきています。

名球会が野球界のバランスを崩していないか

こうして名球会がクローズアップされるようになり、打者は2000本安打、投手は200勝が大きな名誉への登竜門のようになってしまいました。

そのため、ベテラン選手はなんとか、この記録に到達したいと粘るようになり、球団も話題になりますから、名球会入りが近づいた選手をサポートするようになります。

でも、それでいいんでしょうか?

往年の名選手も、名球会がクロースアップされてなかった頃は、あっさりやめていたように思えます。

135勝の江川や1656安打の掛布はまだしも、1800本以上打っている高橋慶彦や真弓明信は、今のように名球会が名誉団体になる前の選手です。粘らなかったのは名球会に興味がなかったんでしょう。

この後というか、2000年以降に、40歳過ぎた名球会入りが増えているのは、選手の寿命が長くなったこともありますが、こうした名球会入りを後押しするムードが背景にあるのではないでしょうか。

そうした球団と選手の思惑が、名選手の晩年を長くし、晩節を汚すようなことになっていないか心配です。また、記録ばかりに目がいって、引退を避ける選手の存在が、球界の新陳代謝や経営を圧迫しないかも気になります。

名選手を決める基準はもっと多様であっていい

名球会の基準で言えば、打者の2000本安打達成者は、投手の200勝達成者に比べて多く、この投打の条件の難易度の相違についても、意見が多いところです。

名球会入りは打者が通算2000安打、投手は通算200勝、250セーブが入会資格となっている。現時点では投手16名、野手47名と野手の数が投手の約3倍と圧倒的に多い。

新しい条件を付加するよりも、名球会を尊ばなくなればいいんじゃ無いかと思いますが、どうなんでしょう。

そして、金田正一さんが昭和名球会を作ったように、こうしたレジェンドに阿ることなく、新たな基準を作って平成名球会を作る人が出てきても良いかもしれません。

先発完投型が少なくなり、沢村賞の該当者に困るような時代なんですから(沢村賞についても考えた方がいいとは思いますが)、セーブやホールドも評価して、奪三振とかホームランとか盗塁とか一芸に秀でた人も表彰する新団体があってもいいでしょう。

250セーブも大魔神・佐々木や岩瀬の評価についての意見が出て増えたものですし、名球会の基準ももっと増やしたらいいんじゃ無いでしょうか。

名選手とは何か、ということを議論した上で、レジェンドとして評価に値する選手が名球会などの名誉団体を支え、野球の普及や社会貢献を行うのは、とても素晴らしいことだと思います。

発足以来、名球会員は、健全なる青少年の育成と様々な社会貢献のために活動してきました。少年野球指導、少年野球支援などの野球教室では、青少年や指導者への野球技術と知識の向上などの野球振興に努め、国内に限らずに、台湾、韓国、フィリピン、ベトナムなどアジアを中心とした海外でも活動しています。
また、震災や台風などの災害による全国の被災者への支援活動も行っています。被災者支援イベントやチャリティゴルフで集まった募金は、社会的に恵まれない方々へ日本赤十字、社会事業団などを通じて支援しています。

こうした活動ができるのも、選手としての輝かしい経歴があり、それを評価して引退後も仕事があるからです。名球会入りしながら、コーチや解説者の仕事がない人はいないでしょう。

プロ野球選手になっても、多くは途中で退団し、一般の仕事についたり、挫折してしまうわけです。その中で、本当に一握りの選手だけが、名球会入りするような成績を挙げ、誇らしい人生を歩めるのです。

そうした人たちが社会に貢献する仕組みとして名球会の存在は素晴らしいと思いますが、名球会だけじゃなくてもいいようにも思います。

いつまでも、王長島に依存せず、新しいプロ野球の時代を作る組織が出てくると良いのではないかと、名球会入りをもてはやす報道を見ていて思う次第です。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。