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編集能力ってなんだろう

編集教室に通っています。

その宿題で、自分に必要な編集能力を考えるというのがありまして、それにはまず編集能力って何かを考えないといけないなあと思いました。

それを書いてみます。

編集能力については、まず以下のように考えて、それを身につける自分を想像しています。

 編集とは、「集める」+「編む」、そして、その結果を「届ける」が必要だと考えます。

 「集める」には、情報を集める、データを集める、事実を集める、人を集める、仲間を集めるなどがあります。
そしてそのために、まずは、接点をたくさん持つことが必要です。インプットをふやして、なるべくたくさんの母集団からチョイスすることで、出来るだけ精度をあげたい。
集めるときに前提となる思考が「疑問を持つ」「仮説を持つ」「解を持つ」「その解への疑問を持つ」と言う螺旋状のループで、そのそれぞれの段階で、情報やデータや事実が欲しい。それで高みを目指したい。情報とデータと事実の違いというのも考えるところですが、いまは一旦置いておきます。
こうして、集めてきたものを、ある意図に沿って編む。

 「編む」には、集めてきた複数の要素を「混ぜ合わせたり」「掛け合わせたり」「絡めたり」「纏めたり」が必要です。
そのために必要なのは、編集ならぬ偏執力、異なるスケールで見る力(ミクロからマクロまで思考を展開する想像力、スケーラビリティを考える力)、翻訳力・通訳力(つまり異なる世界を行き来する力、異なる世界の言葉を行き来させる力)、離見の見(第三者としての視点で見る力)、第2者として観る力(書き手自身=第1者、でも、第3者でもない、ある距離を持って近しい存在として観る力)、誰のため・何のためと問う力などではないかと考えます。
まだまだ必要なものがあるのですが、要は「まだないものを作る」ために必要な力が欲しい。

「届ける」には、形にする(パッケージ化)、届ける方法(流通、メディア)、届け方(マーケティング)、回収(マネタイズ)などを身につける必要があります。

要は、編集者ってスーパーマンです。究極の何でも屋です。コンテンツの川上から川下まで、全てに目を配る仕事が今の編集なのだと思います。

当然、私にはその全てが身についているわけではないのですが、当面、自分に必要な編集能力は、まずは、対象への執着と離見の見ではないかと考えています。
そして、疑問を持つ、仮説を持つ、自分なりの解を持つ、という思考プロセスを、このnoteで展開したいなと思います。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。