2008年に書いた『ストライクウイッチーズ』の原稿

ニュータイプWEB(今のWEBNewtypeになる前)に連載していた「アニメを見ると××になるって本当ですか」の10回目『ストライクウイッチーズ』回。当時、角川の配信サイトで配信してた作品についての紹介コラムです。昨日も書きましたが、論評というほどでもなく、でも作品の「ここ」というポイントを捉えた上で、まっすぐ書かないということを意識してます。

 それは今から80年ほど前の出来事である。
 ベルギーの画家が一風変わった絵を描いた。パイプを描いたその絵の下に、画家は「これはパイプではない」と記したのだ。画家の名はルネ・マグリット。1929年の出来事である。この絵は衝撃をもって受け止められ、さまざまな議論を呼んだ。
 それから40年ほど後。もう一つの出来事が起きた。1960年代前半、ジェシーと呼ばれる青年が日本にやってきてた。彼は相撲界に入門した。厳しい練習の日々。股関節を広げる股割りの時、青年は涙を流した。だが彼はそれを「目から汗が出た」と言い表した。ジェシー、後に外国人力士として初の幕内力士となった高見山である。高見山が広く愛された力士であったことを覚えている人は多いだろう。
 『ストライクウイッチーズ』を見て思い出すのは、このような“先人”たちの存在だ。
 『ストライクウイッチーズ』は作中で「これはパンツではない」と高らかに宣言するアニメであった。パンツ(にしか見えないもの)を描いて「パンツではない」とする態度は実に画期的だった。そしてそのルーツをたどっていくと、高見山であり、マグリットに行き当たることになる。
 『ストライクウイッチーズ』の舞台は魔法の存在するもう一つの地球。別世界より現れる謎の存在「ネウロイ」に唯一対抗できる力として、各地から魔法少女(ウィッチーズ)が集められた、というのが基本の設定。そして魔法とともに特徴的なのが、この世界の若い女性の下半身は、基本パンツ(のようなもの)のみで守られている、という点である。あれがパンツかといえば、「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」というのがこの世界における“正解”である。
 パンツに見える図像を言葉によって否定するというその様はまさにマグリット的。また、高見山の発言の真意が「涙じゃないから恥ずかしくないもん」だったことを考えると、高見山と『ストライクウイッチーズ』も深いところでつながっていることがわかる。
 このように「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」という言葉は、深いバックボーンを兼ね備えた、含蓄のある言葉なのだ。
 含蓄のある言葉はもちろん応用がきく。
 仕事中にYoutubeとかを見てるのがバレても「これはさぼりではない(から恥ずかしくないもん)」。なんかヤバイところを目撃されても「これは浮気じゃない(から恥ずかしくないもん)」。
 こんなふうに高らかに宣言できてこそ、あなたは十分に『ストライクウイッチーズ』の世界を理解しているといえるだろう。

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