400文字の……(15) お正月レセプター(受容体)

 年明けになって軽く体調を崩したこともあって、すっかり日記がお休みになってしまった。
 今年もBSプレミアムの『あけおめ声優大集合2020』の仕事があり、仕事でドタバタしているうちに年が明けてしまった。そのあとも、仕事の連絡がこないので静かではあるけれど、ごく普通の日が続いて、そのまま三が日も終わってしまった。
 思えば小学校4年生か5年生の時だったか。ある年、突然「お正月感」を感知できなくなってしまったのだ。その前の年までは、お正月に向かっていくカウントダウン、そして明けて元日になったときの晴れがましさ。さらにお年玉と、それを手にしての静岡市へでかけての買い物。そういうことがすべて輝かしい、特別な一瞬を形成していた。
 それが小学校のある年を境に、この「輝かしさ」が感知できなくなってしまったのだ。もちろんお正月だからおせち料理も含めいろいろ特別なのだが、それでも、今日は明日のつながりでしかなく、1月1日は365日のうちの1日にしか過ぎない。その違和感が気持ち悪くて、父にわざわざ静岡の賑わう呉服町まで連れていってもらったが、違和感は消えなかった。その時、父は「大人になったのだ」と笑いながらいったのだけれど、僕はまだその言葉を信じられないでいる。
 たぶんあの時、大人になることとは無関係に、「お正月」のレセプター(受容体)を自分は失ってしまったのではないか。そして今も、失ったまま、お正月の亡霊の中で年始の時間を少しているのではないか。そんな疑念を失ったままお正月のルーチンをこなしている。

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