なぜアニメ時評なのか――『チャンネルはいつもアニメ』の少し長い前書き

 アニメ時評「アニメの門」がNewtypeで連載開始されたのは2004年12月号のこと。その後連載はアニメージュへ異動し2010年5月号まで継続。そこまでの連載をまとめた単行本が『チャンネルはいつもアニメ――ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版、https://www.amazon.co.jp/dp/4757142536)だ。ちょうど連載開始からまる14年が近づいてきたので、単行本の前書きを掲載した。前著『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)で書いたことを改めてコンパクトに記して、自分の所信表明としている。
 ちなみにアニメージュの後は、1年半ほどお休みをもらいWEBで2012年から『帰ってきたアニメの門』『四代目アニメの門』と続け、現在はアニメ!アニメ!で『アニメの門V』(https://animeanime.jp/category/column/animonv/latest/
を連載中である。毎月アニメ時評を書いている人間もそう多くないようなので、これからもできる限り、このペースで時評を書いていきたいと思う。応援していただけるとうれしい限りです。そして、できれば2012年からの6年分も一度単行本にまとめたいと思っているので、興味のある版元の方はよろしくお願いいたします。

『チャンネルはいつもアニメ』の少し長い前書き
なぜアニメ時評なのか
 本書は2004年秋から2010年春まで『Newtype』(角川書店)と『アニメージュ』(徳間書店)の二誌にわたって連載されたアニメ時評をまとめたものだ。
 アニメとは大衆娯楽だ。それはほとんどの作品が「今」「ここ」でファンに消費されることを想定されて作られている。たとえ「今」「ここ」を超えた何かが作品にしのばせてあったとしても、まず「今」「ここ」の視聴者に届かなければ、ほぼ自動的に忘れられた作品になってしまう。
 アニメ時評は、そうした消費や忘却に対するささやかな抵抗だ。。
 アニメを言葉で語り、その言葉をタグとすること。この「タグ」によってその作品は、過去あるいは未来の作品と繋がっていく。これによって作品は、個人の思い出の中で消費されるだけでは完結しなくなってくる。そしてこの積み重ねが、やがて「歴史」と呼ばれるようなものを形作るのではないか。
 連載中の7年間、作品論と状況論を行ったり来たりしながら考えていたのは、そのような時評の役割についてだった。
 では僕はどういうスタンスで時評を綴ったか。 前著『「アニメ評論家」宣言』でも記したが、ここでは僕の評論についてのスタンスを少し記すことから始めたいと思う。
 僕の仕事はアニメ関係の原稿を書くライターだ。主な“仕事場”は雑誌やDVDブックレット。ベテランのフリーライター田村章の言葉を借りれば、こういうライター仕事は、スタジオミュージシャンに似ている。。基本的には“歌手=作品・スタッフ”より前に出ることはなく、そのバックで演奏をする仕事。
 ただ、そんなスタジオミュージシャンでも自分のオリジナル曲を演奏してみたい時があるだろう。僕にとって評論を書く、ということはそんな感じの行為なのだ。
 作品を見終わった後に生まれたもやもやとした印象。それを言葉で捕まえてみたい、というのが僕の評論の根っこだ。それは普段のスタッフインタビューや紹介、レビューで書けるものとはちょっと違う。作品という深い湖の底に静かにもぐっていって、石のような固い言葉を拾ってくるイメージ。それを僕は、とりあえず僕なりの「評論」と呼んでいる。だから他の人が「お前の書くものは評論ではない」と言ってきても一向に構わない。
 批評ではなく評論と言っているのは、「論」の一字に、とらえどころのない印象に迫るために、あれこれ言葉を費やしている感じがして、原稿を書いている時の僕の気分に近いからだ。
 評論を書くにあたって僕なりの原則がある。それをいつも厳格に守っているわけではないけれど、この原則が頭の片隅から出て行くこともない。
 原則は3つある。
 まず第一に「作り手の名前に安易に頼って語らないこと」。監督なり脚本家なり、作り手のの個性が作品に出ることは間違いない。だがある作品のある個性が、誰を中心に形作られたかとなると、それは取材をしてみないとわからないことだ(そして、取材をしてみてもわからないこともある)。だから安易に作り手の名前を掲げて、それで作品を理解(説明)したつもりにならないこと。まず大事なのは作品そのもの、画面で描かれたことを凝視すること。だから本書の中には、作り手の名前はあまり出てこない。
 第二に「安易な辛口評を書かない」。この理由はひとことで言えば「辛口評にはストレス発散・文章芸以上の意味が見つけにくい」から。そもそも辛口評を通じて、そのダメな作品が傑作となって生まれ変わるわけがない。
 ではその辛口評が制作工程にフィードバックするだろうか。それもあやしい。アニメは集団作業だから、さまざまな人の意思と思惑でできている。単に視聴者の視線から欠点を指摘しても、その複雑な製作・制作プロセスの中へとはなかなか反映されづらい。
 これはアニメだけではなくTVドラマや映画でも事情はほぼ同じはずだ。たとえばアメリカなど日本よりはるかに辛口な映画評があるにもかかわらず、褒められたものではない映画がどんどん作られていることを考えても、辛口評が駄作率を下げることに寄与しないと考えられる。このあたりは個人制作が基本の小説やアートなどにおける批評と異なるところだと思う。
 本書では「ゲド戦記 予告のアイロニー」が唯一といっていい辛口の評だ。僕としては数少ない例外だ。
 第三に「視聴者の視線から書くこと」。
 もちろん視聴者といってもその立場は多様だ。これはむしろ「作り手になった気持ちで書かない」というつもりの言葉だ。作り手というのは自分の考える道を選んで進んでいくものだ。だから、極論すれば、自分以外の道を認めることはない。でも、視聴者は対極にあるような二つの作り手の両方を楽しむことができる。つまり、視聴者の視線で書くというのは、あるべきアニメ像から作品を選び出すのではなく、できうる限り作品の多様性、作品を楽しむ回路の多様性を確保する方向で語るということになる。このことについては最終回の「アニメ時評について」でも触れた通りだ。

2010年までのアニメを取り囲む状況
(小見出し)
 続いて、本文の前に知っておいてもらいたいことがもう一つある。それは2004年から2010年に至るまでのアニメを取り囲む状況だ。毎月の原稿ではフォローしきれなかったことをここで少し説明したいと思う。
 TVアニメは'98年から放送本数が増え始め、2000年には一旦落ち込むものの、その後再び増加に転じる。そして2006年には年間266本という過去最高の放送本数を記録する。
 この放送本数の増加の背景にあるのは「DVD販売による資金回収」「製作委員会中心の製作体制」「深夜枠の活用」という三つのトレンドだ。
 それまでのTVアニメは玩具・食品・文具を中心とするスポンサーが制作費を出していた。スポンサーは玩具を含むキャラクターグッズを売ることで利益を得ていた。
 だが'90年代半ばから、ビデオメーカー主導でTVアニメを制作し、DVD販売によって資金を回収するビジネスモデルが登場した。'80年代半ばに登場したビデオソフトそのものを売るというOVAのビジネス手法と、TVアニメの方法論がここで合致することになった。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』はこうしたメーカー主導型の作品の極初期の作品である。
 製作にあたっては、ビデオメーカー単独ではなく、出版社やレコード会社など複数社が
出資して製作委員が編成されるようになった製作委員会は数社でリスクを分け合うため1社ごとのリスクが低くなる一方で、、各社の本業を生かして作品の露出を高めることができるというメリットがある。特に現代のアニメは、コミック、小説、キャラクターグッズ、ゲームなどメディアミックスが当たり前となっており、関係する各社が参加する製作委員会方式が普及するのは自然な流れだった。
 この方式であればスポンサーが不在でもTVアニメを製作することができる。TV局にとっては、この製作委員会に枠を任せれば、スポンサーのつきづらい深夜も埋まるし、広告を手当する必要もない。
 かくして深夜枠にはアニメが増えていった。その結果が'06年の放送本数だった。
 だがピークを越えて、その状況が曲がり角を迎える。DVDセールスが落ち込んできたのだ。たとえば放送本数は2008年に213本にまで減り、アニメDVDの売上を見みてみても、2008年は2007年に比べ大きく落ち込んでいる。
 これは音楽産業においてCDが売れなくなってきていることに代表される、エンターテインメントのコンテンツ全般に起きている現象だ。アニメはここ10余年の間、大きな柱としてきたDVDセールス中心のビジネスモデルを見直さざるをえなくなっているのだ。
 その変化の影響を受けてかわりつつあるのがアニメ映画の企画だ。
 2000以降、アニメ映画の新しいフィールドとして単館系に注目を集めてきた。新宿のテアトル新宿では『人狼』(2000)を皮切りに『時をかける少女』(2006)など数々の作品を送り出してきた。近年では、人気小説を小説と同じ全7章構成でアニメ化した『空の境界』(2007)は大ヒットとなって話題を呼んだ。
 このほか連載でも触れたが『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』は公開館数約80館と中規模興行を選び、『劇場版天元突破グレンラガン 紅蓮篇』(2008)も公開館数は11館だったが、どちらもヒットとなった。
 2000年以降、全国にシネマコンプレックスが増えた。そのため単館公開から単館拡大系やミニチェーンと呼ばれるような中規模興行まで、そのアニメの規模に見合った興行スタイルを選べるようになったことは大きい。
 こうして興行側とアニメのマッチングがよくなったことで、時間的予算的制約の大きいTVとは一線を画し、よりクオリティの高いものを相応の値段で提供するビジネスの中核として、劇場興行が再度注目を集めることになった。
 2010年にはOVA『機動戦士ガンダムUC』の第1話が劇場公開され、全6章をうたうロボットアニメ『ブレイクブレイド』の公開も始まった。どちらも『空の境界』のヒットを受けてのビジネス形態と思われる。
 '04年から'10年の7年とは、そのようなアニメビジネスの曲がり角を含んでいる7年間なのである。


そして、単行本のための「あとがき」
 
 きっかけは2004年のことだった。当時「Newtype」の編集長だった矢野健二氏と話をする機会があった。矢野氏はその時、某カルチャー誌がアニメ特集のリードに「アニメ誌なんて読まなくていい」と書かいていたことに何か言いたげで、その特集についてつらとら雑談をした。
 おそらくその時、矢野氏の中には何かアニメ誌でもちょっと違ったことをやろうかな、という考えがあったのではないだろうか。ふと「『Newtype』でアニメ時評」の連載を始めませんか?」と持ちかけたらトントン拍子に企画が決まり、連載が始まることになった。
 僕自身は'02ごろからアニメ時評をやりたいと思っていろんな人に企画を持ち込んだりしていたのだが、「批評をやるには資格がいる」などと言われたりして、なかなか企画を通すことができなかった。それがほんの数分の会話で決まってしまうものだから、決まる時にはあっという間に決まるものだ。
  「アニメージュ」の「いいシーンみつけた」やアニメックの「アニメックステーション」といった時評を愛読していた身からすると、アニメ時評が連載できるというのは単純にうれしかった。
 「Newtype」では45回連載したのだが、紙価の高騰による減ページの結果、最終回となった。その時期に、たまたま取材であった「アニメージュ」の編集者にダメもとで「アニメ時評の連載、いらない?」と聞いたら、ありがたいことに今度は「アニメージュ」で連載を引き受けてくれることになった。こちらは20回連載して、誌面刷新のために最終回となった。
 このような経緯で2誌にまたがって連載をさせていただいた。なので、あとがきではまず2誌の関係者に感謝を捧げたい。
 「ニュータイプ」では矢野健二編集長と田島寛子編集長、そして担当の梅津友美さん、どうもありがとうございました。梅津さんの命名による「アニメの門」というタイトルはとても気に入っていて、自分でアニメのトークイベントを主宰する時もタイトルに使わせてもらってます。
 「アニメージュ」では松下俊也編集長と、担当の鈴木雅展さんに感謝を。「アニメの門」を受けて「アニメの鍵」と命名したのは鈴木さん。初回のリードに「門を開けるにゃ鍵がいる」とあったのはゲラを読んで笑いました。
 そして単行本の企画を引き受けてくださった植草健次郎さんにも厚くお礼をいいたい。
 まだまだアニメを取り巻く環境は変化し続け、興味深い作品も尽きることがない。願わくばアニメ時評は今後もどこかで継続していきたいと考えている。



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