マンガ原作とアニメの距離

 日本のアニメは、マンガを母に、映画を父に生まれた子供だ。TVを見れば分かるとおり、TVアニメの多くはマンガ原作によっている。これは『鉄腕アトム』('63)の昔から変わっていない。日本のアニメの豊かさの何割かは、層が厚く幅の広いマンガ市場に支えられているのだ。逆にいうと日本は世界の中でも特に、出版業界とアニメ業界が近しい距離にあり、一体となってその文化を育ててきた。
 しかし、「マンガのアニメ化」といってもその実態は様々だ。時代によっても変化してきたし、当然ながら作品毎にも事情が違う。
 荒川弘のマンガ『鋼の錬金術師』はこれまでに2回アニメ化された。『ゲゲゲの鬼太郎』のような1話完結ものにはリメイクされたケースもあるが、ストーリーマンガが2度アニメ化されたケースは非常に珍しい。
 一回目の放送開始は二〇〇三年。監督は少年ジャンプ連載の『シャーマンキング』をアニメ化した経験を持つ水島精二、ストーリーエディター(他作品のシリーズ構成にほぼ相当する脚本チーフの役職)は會川昇。原作が5巻まで出版された段階でアニメ化され、一年間全五十話を放送した。前半は原作に準拠した内容で、後半をオリジナルのストーリーを展開し物語を締めくくった(以下『無印』と表記)。TVシリーズ完結後の二〇〇五年には、TVシリーズのラストのその後を描く映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』も公開された。
 二回目は前作から六年後の二〇〇九年。タイトルに原作の英字タイトル『FULLMETAL ALCHEMIST』が加えられている(以下『FA』と表記)。監督はアニメーター出身で『KURAU Phantom Memory』(二〇〇四)が初監督の入江泰浩、シリーズ構成は大野木寛。こちらは原作にのっとった内容で、原作の完結と歩みを合わせて二〇一〇年七月に放送終了した。大河ドラマ形式で五クール全六十四話という長期シリーズで、さらに最終回の後に、劇場版制作が発表されている。
 今回編集部から提案があったテーマは、この同一の原作をベースに制作された二つのアニメについて語るというもの。
 日本は世界の中でもマンガとアニメの結びつきが強い国だ。そのためマンガがアニメ企画のインキュベート機能を果たしてきた側面がある。『無印』と『FA』は、こうした「マンガのアニメ化」の歴史の結果として並び立っている。多少乱暴にまとめるのならば、2作とも原作をおもしろいアニメにしようとしている点では同じだが、『無印』は一九七〇~八〇年代までのアニメ化の方法論・姿勢を受け継いでおり、『FA』は一九九〇年代以降の方法論で制作されているのである。歴史を振り返ってみよう。

 これはつまり「マンガのアニメ化」にはどういうアプローチがあるかを考えることだ。
 「マンガのアニメ化」がどういうふうに行われるかは、まずマンガ業界の思惑と(TV局を含む)アニメ制作現場の思惑の複雑な合力の結果である。そしてその結果を踏まえて、クリエイティブが行われる。『無印』と『FA』がどういう力学の中で成立したかについては、「マンガのアニメ化」の歴史を振り返ってみたほうが見通しがよくなる。
 一九五〇年代末、東映動画は、長編アニメーション第三作を制作するにあたって、手塚治虫のマンガ『ぼくのそんごくう』に白羽の矢を立てた。手塚はスタッフとしてアイデア満載のストーリーボードを描いた。
 手塚治虫の以前にも東映動画には漫画家の岡部一彦、画家の蕗谷虹児など、アニメーターでない画業の人間が参加していたが、これといった成果を出せないまま東映動画を去っていた。当時アニメーターとこのような漫画家のグループとの間には溝があったという。手塚治虫の場合も、ストーリーボードの内容の多くは使われず、さらに手塚の描いたキャラクターについても現場からは不満の声が出たという。
 この時期の東映動画はアニメーターにはない感性・発想をマンガ家に求めていたと思われるが、長編アニメーションの制作現場も黎明期であったし、マンガ家のアニメへのリテラシーも高くなく、その溝を埋めて二つの方向性の違う能力を融合させるまでには至らなかった。
 ご存じの通り、現在もマンガ家がアニメの企画に自らのキャラクターを提供する場合がある。アニメの画を描くのはあくまでアニメーターだが、一般論でいうならば「アニメーターとしての能力」と「魅力的なキャラクターを造形できる能力」は決して一致するものではない。マンガ家(時にイラストレイターなど)がキャラクター原案として起用されるのは、マンガで培ったノウハウを生かしてポピュラリティのあるキャラクター作品に提供することにある。
 マンガ/マンガ家が持っているセンスを、いかにアニメに導入できるか、とうい課題は、このように戦後のアニメ史が始まったころから潜んでいたのだ。
 さて、『西遊記』の参加を経て、自らアニメーション制作に乗り出すことを決めた手塚治虫は虫プロダクションを設立。自作の『鉄腕アトム』を一九六三年から放送開始する。そして『アトム』のヒットを受けて、さまざまなマンガがアニメ化されるようになる。そしてここからマンガとアニメの二人三脚が本格的に始まるのである。
 なお興味深いのは、東映動画がその後も、マンガ家を一種のブレーンとして起用し続けたということだ。
 たとえば永井豪とダイナミックプロは東映動画と組んで『デビルマン』(一九七二)、『マジンガーZ』(一九七三)、『ゲッターロボ』(一九七四)など多くの作品を発表している。これらの作品のマンガは、今でいうメディアミックスとしてアニメの企画を受けて、雑誌に掲載されたものだ。
 永井豪に続いて東映動画は松本零士を起用。松本は『惑星ロボダンガードA』(一九七七)、『SF西遊記スタージンガー』(一九七八)に携わっている。
 ただし松本の場合、以前からアニメに熱意を持ち、イメージを提供するだけでなく、重要なスタッフとしてかかわった『宇宙戦艦ヤマト』がブームとなったことも加わって、上記作品と並行しながら自作のアニメ化に積極的に動いた点が、永井と大きく異なった。
 かくして一九七〇年代後半は松本アニメがTVや映画に溢れることになる。TVでは『宇宙海賊キャプテンハーロック』(一九七七)、『銀河鉄道999』(一九七八)、『新竹取物語1000年女王』(一九八一)などが放映され、劇場アニメでは『銀河鉄道999』(一九七九)、『1000年女王』(一九八二)などが公開された。
 『宇宙海賊キャプテンハーロック』のアニメ化については一つエピソードがある。
 この作品はもともと松本がTVアニメ用に考えていたものだったが、企画が決まらず、マンガ連載がスタート、その後、アニメが決まったという作品だ。
 アニメの監督は後に劇場版『銀河鉄道999』を監督するりんたろうと、脚本は特撮やロボットアニメで腕を振るってきた上原正三。このスタッフから松本に、アニメ化にあたって原作を変更したいというリクエストが出た。
 ハーロックは宇宙海賊として地球政府から追われる無法者。そのハーロックが宇宙からの侵略者であるマゾーンと戦って地球を守るための「動機」として、ハーロックの親友の忘れ形見である少女まゆを登場させたい、というのがそのリクエストだった。
 松本はハーロックというキャラクターの根源にかかわるこのアイデアになかなか納得しなかったというが、議論を重ねた結果、松本が折れ、まゆは作品に登場することになった。
 こうしたアレンジは決して珍しいことではない。
 少し時代が下がるが、細野不二彦の『さすがの猿飛』のアニメ化(一九八二)にあたっても、原作はアレンジされている、シリーズ構成の首藤剛志はアレンジの理由を次のように回想している。
 「原作を読んで見たが、マンガも設定自体が、1年間52本保つボリュームがあると思えなかった。
 ある程度、僕の好きなように変えてもいいですかと聞くと、主人公とヒロインが描けていれば、それで結構ですという。
 『さすがの猿飛』は現代にある忍者学校を舞台にしているアニメだが、それだけでは、広がりがない。
 敵対する、近代化したスパイ学校「スパイナー」を設定して、ライバル高にし、そこの落ちこぼれ生徒であるスパイ候補生の00893と004989というニューハーフ風凸凹コンビを狂言回しに話を展開させる事にした。
 原作には一度しか出てこない忍豚(にんとん)という、猿飛家に居候している豚も、レギュラー出演させることにした。」
「シナリオえーだば創作術 だれでもできる脚本家」第61回(http://www.style.fm/as/05_column/shudo61.shtml)
 マンガの段階では気にならず読み過ごせていたことも、アニメになると無視できないポイントになることがある。またエピソードを膨らめやすいようにキャラクターを配置しておかないと、アニメ独自の物語を作るらざるを得なくなった場合に苦労することになる。そうした問題を解決するためのアニメ化の時のアレンジは、マンガをTVアニメとして放送しやすいよう構造を強化するものだったといえる。
 一九六〇年代から一九八〇年代中盤にかけては、こうしたアレンジが施されるのは珍しいことではなかったし、アレンジに留まらず原作が未完結の場合には、アニメ用に物語をまとめる必要もあった。たとえば前述の『キャプテンハーロック』も『さすがの猿飛』もアニメオリジナルの最終回を迎えており、そこにはアニメ制作者の作品への思いもまた込められている。
 もちろんこうしたアレンジもなく、ストーリーもほぼ原作通りというものもあったが、それでも各話の単位ではオリジナルストーリーが入ることは避けられなかったし、なによりキャラクターのデザインの問題もあった。


 アニメ用のキャラクターを、マンガの絵柄に似せる技術は一九八〇年代前半ごろまでではまだそれほど熟しておらず、また、アニメの制作システムもキャラクターを似せることに適した体制(一九九〇年代以降に当たり前になった総作画監督システム)も採用されていなかった。
 以上のような状況から一九八〇年代後半までは「マンガとアニメは(よく似ているけれど)別もの」という状況がむしろ当たり前であった。
 だがこうした状況は次第に変わっていく。
 以前、当時「少年ジャンプ」の編集長だった鳥嶋和彦に、ジャンプ作品のアニメ化についてどういう姿勢で臨んでいるか、インタビューしたことがある。
 その時に鳥嶋はまず、我々は最高の作品を送り出している。そこにどうして手を加える必要があるのか、と不用意に原作をアレンジしてしまう状況がアニメ側に長らくあったことについて否定的な意見を述べだ。
 その上で、鳥山明の出世作のアニメ化になる『Dr.スランプ アラレちゃん』(一九八一)の時から「原作に忠実に」と主張しつづけ、この主張は次作『ドラゴンボール』(一九八六)に継続する過程で、次第に東映動画のアニメスタッフにスムーズに受け入れられるような関係が出来上がったと話した。

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