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漫才論| ⁸⁰「トリオ漫才をやりたくてやっている」という方, コメントください‼️

変な記事のタイトルですが,私はトリオ漫才がものすごく苦手です。「やりたくてやっている人などいないのではないか」と思ってしまいます。元々トリオ漫才がしたかったわけではなく,まず「三人で組む」という話があって,ネタの一つとして「漫才もやってみようか」というかんじでやっているようなかんじがしてしまいます

なぜそう感じるのかというと,わざわざトリオ漫才をやるメリットがほとんど思いつかないからです。デメリットはいくらでも思いつきます。この記事では,トリオ漫才のデメリットについて書いてみたいと思いますが,「私はトリオ漫才がしたくてやっているんです!」という方がいらっしゃったら,ぜひコメントお願いいたします!トリオ漫才の魅力について教えてください!(煽っているわけではなく,本気で教えていただきたいです)


トリオ漫才に感じる"不自然さ"の原因

漫才の魅力といえば,テンポのいい「掛け合い」です。三人でテンポのいい掛け合いをすることは物理的には可能ですが,かなり難しいですし,不自然なかんじもします

「漫才は会話だ」とよく言われますが,実際には,普段の会話ではあり得ないテンポで掛け合いをするのが漫才です。それをみて,「普段の会話でもこのテンポでやり取りすることも可能かもしれない」と思えるのは二人までで,三人でこれをやると,「普段の会話では絶対にあり得ない状態」になってしまうので,どんなにうまくてもトリオ漫才は不自然なかんじがするのではないかと思います

二人よりも"下手"にみえる可能性が高い

「テンポのいい掛け合い」をやるのは二人でも難しく,プロの漫才師のコンビでもみんながみんなこれができるわけではありません。それを「三人でやる」というのは輪をかけて難しいことで,実際,ものすごく掛け合いがうまいトリオ漫才師はあまりいないと思います。同じくらいの実力を持つ漫才師であっても,三人でやるほうが難易度が高いため,コンビよりもトリオのほうが「下手」にみえると思います

そもそもやるのが難しく,コンビよりも「下手」にみえる可能性が高いのに,わざわざ三人で漫才をすることにどんなメリットがあるのかがよく分かりません

"相槌"を入れるのが難しい

漫才においてかなり重要なのが「相槌」です。台本には書いていない「相槌」を入れることによって,"漫才感"が出ます。二人であれば,相槌を入れるのは「今メインでしゃべっていないほう」と決まっているので,台本に書いていないいわばアドリブような相槌を自由に入れることができます

しかし,トリオの場合は,今メインでしゃべっていない人が二人もいるため,台本には書いていない相槌を入れるのが難しくなります。相槌を入れる担当を決めてしまえばできますが,それだともう一人が「ただ立っている人」になってしまうので,結局違和感が残ります

相槌も全部台本に書いて,バランスよく三人で掛け合いをするように仕上げることも可能ですが,そうすると今度は「機械のような漫才」になってしまいます

"デメリット"と"違和感"の塊

二人でも成立する内容なのに「三人でやるために三人目のセリフを無理やり作ってる感がある」とか,「『二人でやったほうがよくない?』と思ってしまう」とか,ほかにもいろいろと思うことはあり,トリオ漫才は「デメリットと違和感の塊」というかんじがしてしまいます

「そんなことはない!気づいてないだけです!トリオ漫才にはこんな魅力がありますよ!」というご意見がありましたら,ぜひコメントをお願いいたします

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みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた


あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】