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漫才論| ⁸ボケとツッコミは分けるべき❓

コンビを組むときに最初に決めるのが,「どちらがボケでどちらがツッコミをやるのか」ということかもしれません。ボケとツッコミを分けるのは今ではあたりまえになっていますが,この考え方が浸透したのはおそらくダウンタウンの影響だと思います

ダウンタウン以前は,「どちらもボケどちらもツッコむ」というのはごくごく普通の漫才スタイルでした。いまだにその名が語り継がれている「中田ダイマル・ラケット」「夢路いとし・喜味こいし‬」「横山やすし・西川きよし」をはじめほかにも多くのコンビが,ネタの途中で自由自在にボケとツッコミが入れ替わる漫才をやっていました

では,今主流になっている「ボケとツッコミを分けるスタイル」と,「ボケとツッコミを完全には分けないスタイル」とでは,どちらのほうがいいのでしょうか?


普段の相方との関係性による

ダウンタウンのように,ボケ気質の松本さんと,ツッコミ気質の浜田さんというふうに,普段の関係からしてボケとツッコミに分かれているコンビは,ボケとツッコミは分けたほうがいいですし,自然とそういうスタイルになるはずです。例えば,「フットボールアワー」「アンタッチャブル」「ダイアン」「ナイツ」などはこのタイプのコンビだと思います

問題は,普段はどちらもボケたりツッコんだりしているコンビです。「普段の会話で100%ボケとツッコミが分かれているコンビ」というのは,おそらくそんなに多くないと思います。それなのに,漫才となると,「ボケとツッコミを分けなければいけない」という思い込みから,無理にボケとツッコミを分けようとすることがよくあります。普段の二人の会話はおもしろいのに,漫才となると「どうもおもしろみに欠ける」とか,「普段の持ち味が発揮できない」という場合,無理にボケとツッコミを分けようとしていることが原因である可能性もあります

ボケとツッコミを
固定しない場合のネタの作り方

では,ボケとツッコミを固定しない場合,どうやってネタを作ればいいのでしょうか?

普段の二人の会話を思い出してみると,自分の得意な話題や苦手な話題に応じて,自然とボケとツッコミが入れ替わっていることがあるのではないかと思います。苦手な話題については知らないことが多いので,詳しい人からするとその人の発言はもうボケです。このように,「どの話題だとどちらがボケるのが自然か」ということを考えてみます

また,同じような点ですが,「このボケはどっちが言ったほうがおもしろいか」ということを考えながらネタを作ることもできます。どちらが言ってもおもしろいボケもありますが,大抵は,「このボケはこの人が言ったほうがよりおもしろい」というのがあります

普段はどちらもボケたりつっこんだりしているコンビの場合は,ボケとツッコミを固定しないことによって,それぞれのキャラや持ち味を漫才において十分に活かすことが可能になりますし,「無理」や「嘘」のない自分たちに合った自然な漫才をすることができます

ボケとツッコミを固定しないメリット

ボケとツッコミが完全に分かれていると,同じパターンの単調な漫才になってしまうことがありますが,この作り方だと,ネタによってボケとツッコミがかわったり,ネタの最中にボケとツッコミが入れ替わったりするので,「いろいろなスタイルの漫才ができるコンビ」と思ってもらえます。実際には,自分たちらしい会話を漫才に"昇華"したら,自然とそうなっただけなのですが・・・

普段はどちらもボケたりツッコんだりするコンビであればぜひ一度,この作り方を試してみてください

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みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】