作家は苦悩する道

 新しい言葉を常につくり出さなければならない作家は苦悩する道だ。ぼくは作家になりたい。小説家になりたい。しかし、言葉をクリエイションする小説家は気持ちのうえで苦しむ。なぜ、苦しむのか、それは新しい言葉をクリエイションしなければ、それは職業にならないためだ。叫び声をあげて!ぼくのなかにクリエイションして小説でも断片でもかたちに残すことができなければ、それは単なる紙の屑にしかならない。

 「何でおまえはこれだけ本を読んでいるのに作家にならないの?」とぼくの母は言った。ぼくは陰ながらショックだった。それは苦悩の足し算だった。ぼくは精神障害でまとまった思考を頭のなかで組み立てることができない。いや、ただ単に苦手なだけなのかもしれない。これを書いているいまでも頭痛がする。しかし、魂の叫び声を発信したい!という気持ちはとてつもなく強い。

 昨日、大学に通う友人に読書感想文を読んでもらった。おおむねできはよかった。最初は。しかし、読書感想文の最後にアリストテレスの引用をしてしまった。これがよくなかった。専門家の視線からすると「お話にならない」のだ。飾りどころか、よけいな部分だった。叔父にもそのことを指摘された。今度からは「哲学科中退」と自ら名乗ることはやめようと思った。

 書こうとすること、また書いた作品、または断片がヒドラであろうとも、おくせず書いていきたい。こう思ったのは、沼津市で史上3人目の若い芥川賞作家が誕生したためである。ぼくは急いでマルサン書店に自転車を走らせて本を買いった。しかし、買うことができなかった。なぜなら、もうすでに完売していたためだ。ニュースで「中上健次に影響をうけたました」と彼女は語っていた。彼女もインプットした言葉をクリエイションする「本当の小説家」なんだとぼくは思った。

 大学に通っていた頃は、学者になろうと思ったりした。しかし大学在学中に精神障害を発症(正確には高等学校から)したあとずるり、ずるりとひきずって今日に至る。大学の先生は、授業のはじめ「哲学科に来た理由」を書きなさいと生徒に命じた。ぼくは「作家になりたい」と率直に書いた。しかし、授業にろくすっぽ出ないで、遊んでばかり、バイオリンをやったり、クラシックバレエをかじったり、カッコつけマン全開で全力で遊んだ。そのために大学を中退した。作家や学者の夢もなくなりそうになっていった。

 そんななか、入院して人間関係について深く、大学の頃よりも考えるようになっていった。入院仲間には発達障害の方もいたし、知的障害の方もいた。みな、それぞれ理由があって入院して退院に向けて励ましあいながらも、医師の助言や看護師さんや看護助手さんの助けに本当に救われていた。

 ぼくは退院してながい時間がたった(とはいっても3ヶ月だが)。そのあいだ、デイケアの作業の時間にたくさんの本を読んだ。それは入院中の作業療法でも変わらなかった。デイケアでは主に沼津市立図書館で借りてきた本を読んでいる。ディケンズやドストエフスキー、トルストイの作品が多い。何しろたくさん読んだ。人間はたくさん読むとその分、たくさん書いたり、話したりしたくなるようでいまも、入院仲間とlineで本について話している。

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