ぼくと結城学くん 第4章

 結城学くんは『ファウスト』の脚本を机の引き出しにしまった。劇団『あるき』の公演を無期限の延期にすることにした。そのかわり、朗読劇にzoomをもちいた『嫌われる勇気』の朗読劇をしようという提案をした。ぼくはアドラー心理学をフロイト心理学と同じくらい好きであったので、「これならできそうだ」と思った。ぼくは対話形式の『嫌われる勇気』の登場人物の哲人役に選ばれてしまった。2週間、哲人の役になりきって稽古をやっていった。けんかばかりしていた学くんとはより絆を強めることになった。『嫌われる勇気』の主題が良かったかもしれない。プラトンの著作もいくつか読んだ。『嫌われる勇気』の著者の先生は古代ギリシア哲学の専門家であり、カウンセラーでもある。言葉のはしはしに先生のそこはかとない配慮が見え隠れしていたのである。ぼく自身驚いたことがあって朗読劇のいとなみを通じてセラピーになっていき、『レ・ミゼラブル』のエキサイティングではあるが、ストレスがたまる仕事が浄化されていった。

 結城学くんはバーでいつもタップ・ダンスをやっている。富男くんにタップ・ダンスを習うようになった。タップ・シューズと板があれば、どこでも練習するようになっていったのである。富男くんはジャズの音楽に即興で足を鳴らしながらステップを華麗に踏んだ。富男くんはタップの達人だけでなく、ナボコフというロシア人で英語でも作品を書き続けた作家の翻訳者でもあった。現在進行中の翻訳は長編小説の『賜物』であった。「言葉の魔術師」といわれるナボコフ。訳すには1年間もすぐにすぎてしまった。そのあいだに、ぼくのように富男くんは小説も創作していたのである。また、ドストエフスキーが好きで読みこんでいた。中村文則のエッセイも貪るようによんでいたので、ぼくは富男くんに興味をもった。ぼくは日本において現代のドストエフスキーの大きな理解者は中村文則だと考えていたためである。

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 結城学くんとLINEでやりとりするなかで「トキトキ荘」とよばれる芸術家が集うシェアハウスに住むことになった。六本木のオシャレな部屋に嫌気がさしていたためである。どこへ「ヒルズ族」といわれ、「あーあそこに住んでるのね。」と言われるのにうんざりしていた。藝術の熱狂に生々しく関わっていたいのが腹のなかで渦巻いていたのだ。そこには、なんと富男くんがいた。物書き兼翻訳家である。夜になるとジャズバーに繰り出しタップ・ダンスを発表していた。物書き業としてのぼくにとって富男くんは同じ釜の飯を食う住人兼ヒーローであった。

 ぼくと結城学くんとの『嫌われる勇気』の朗読劇は一応成功、まずまずの出来であった。こんな時代だからこそなのであろうか、zoomでの朗読劇ではチケットが完売された。しかしぼくはアドラー心理学に疑問を感じ、ギリシア哲学に傾倒していったのは否定できない。

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