三大陰キャと呼ばれた男
「どうも、藤沢です。
6月に入りましたね。
皆さんは新生活には慣れてきましたか?
学生の方も社会人の方も納税の義務も全うできていないカスの方も様々だとは思いますが
新生活、どうですか?
うまく、やれてますか?
僕は"今は"うまくやれています。
"今は"ということはそうです。
高校1年生の頃の"今"しんどかったなぁ~!!
高校1年生の頃の僕は極度の緊張しいで、夏の終わりころまで一切の友達ができませんでした。
誰かが話しかけてくれるかな~、なんて思っていたら六ヵ月がたっていました。
話は遡り、4月の頃です。
一切の友達もできなかった僕は、休み時間、カバンの整理をするふりをして10分間を過ごしていました。
テトリスくらい綺麗に整頓されたカバンに、水筒を突き刺してすべての物を消す遊びをしていました。
一ヵ月くらいがたち、カバンテトリス界のあめみやたいようと呼ばれていたころ、流石に友達としゃべりたいようになっていたので、あたりを見渡してみました。
大体のヒエラルキーができていました。
ダンス部女子、サッカー部男子はピラミッドの一番上。
そしてほとんどは真ん中くらいで、僕はそのピラミッドを下から支えている底辺ベンチプレサーになっていました。
そんな縮図になっていました。
しかしよく見てみると、僕のほかに後2人、ベンチプレサーがいます。
仮の名を「ももちゃん」「まみっさん」と呼びます。
5月になるのに一切の友達を作らなかった三人は、ここで友達になります。
一ヶ月ぶりに人間としゃべるので、初期のAIくらい支離滅裂な会話を三人でしていたのですが、悪くない。
そんな平穏が続いていました。
ある日の体育の時間です。
クラス交流という形で「じゃんけん列車」というものをクラス全員ですることになりました。
じゃんけん列車とは、3人一組くらいで一列に並び、肩を持ち合います。そして先頭の人間が他の列車の先頭とじゃんけんを行い、勝った方の列車の後ろに連結されていき、最後まで一番前だった列車の勝ち。
とまあこんな感じのゲームです。
僕たち残り物のベンチプレサーは当然のごとく列車になり、一車両をヒエラルキーの最底辺で構成しました。
ただ普通にクラス交流を楽しもうとしていた。
ただそれだけだったんです。
ここで初めて知りました。
我々残り物三人組は
三大陰キャと呼ばれていました。
我々の列車をみて、皆が笑っています。
撮り鉄的なものなのかな?なんて悠長なことを考えていたが違いました。
ただクラスの笑われ者だったのです。
「あれやばww」
「あそこに連結したら死ぬぞww気ぃ張ってけよww」
「デストレインやんww」
と言われ放題でした。
なんかどんどんipponグランプリみたいになってきていたと思います。
バカリズムみたいに絵をかいてぼけてる奴もいました。
我々は5分くらいたっても誰ともじゃんけんできず、ずっと一車両だったのにも関わらず、他の列車は3車両にも4車両にもなっていたと思います。
そしてどんどん大きくなっていき、とうとう我々三人以外の列車は一つになりました。
涙が出そうになりながらも、ここで勝ってスカッとジャパンに応募してやる…!!
と思っていたのですが、じゃんけんはしてもらえず、先頭のサッカー部の男子が笑いながら我々の列車をぐるぐるの囲みます。
もう逃げられないスリザリオみたいになっていました。
悲しくなった僕らは列車のまま教室に特急で戻りました。
後ろらへんで
「あそこまでいったら人間の終点やなw」
とうまいことを言われました。
列車を走らせながら、僕は彼らに問います。
「この電車のまま、どこまでも、どこまでも行ってみない?」
彼らは言います。
「行こうか」
僕は言います。
「行こう」
その出来事が悔しすぎて、いろんな人と頑張って喋り、なんやかんやで友達もできて、3年間楽しくすごしました。
僕が伝えたいのは一つ。
今の時期頑張った方がいいぞー!
です。
クラスになじめていない君も、会社であまり話していない君も、ちょっとくらいは勇気出して話しかけたほうがいいんじゃないでしょうか?
一日の半分を過ごす場所だからこそ、自分にとって心地よい場所にするべきだと思います。
僕は頑張らなかったら、三大陰キャとして高校生活が終わっていました。
しかし頑張ったからこそいい三年間を過ごせたのだと思っています。
だからみんなも頑張ってみませんか?」
そう言い残した陰気がすごい列車は、終点を目指して走り去っていきました。
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