せいじつなせいしつ

ユッキーは「ガハハ」と笑う。

@JAMEXPO終わりに道向こうにあるLiTで開催されたmiyumiyuのイベントに顔を出してきた。実はこのイベントが26日だとばかり思っていて26日に共演できないかと模索していたんですが全然27日だった。
運良くNUANCEのライブ終わりでmiyumiyuのライブに駆け込むことができ、程よく埋まった客席に腰を掛けたが自分が面倒見ていた人たちを客席から座ってみるのにソワソワしてしまって、PAブースに移動して最後尾から観ていた。

まさか「sanzan」と「雨粒」を演るとは思わず、しかもsanzanはシーケンスを手弾きさせる原曲に近い鬼アレンジ。イントロが鳴り始めた時、あの不遇の塊でしかなかった大変な時代が蘇り、少しだけ感極まった。

「雨粒」は原曲と全く異なるアレンジで、独り孤独を抱えていたユッキーが時を経て、寄り添える人と抱えられる御子に出会った、まさに固く結ばれて側に居てくれる人に出会えた喜びの歌に変貌していた。

祝福に溢れた空間はいつだって素晴らしい。でも同時に、もっと多くの人にあの音たちに触れて欲しかったとも思う。あの時代に僕がもっと長けていれば、あの場に居たお客さんは倍になっていたのではないか…。とかそれよりも大きな会場を埋めれたのではないか…。とか、喜びどころか猛省して家路に戻った。


最近言われたことがある。「NUANCEは動員酷いから呼べない」。


全方向の人たちへ申し訳なさに溢れる。ピュアに正論。自分がイベンターだったらその選択肢も無くはない。miyumiyuをやってた時も散々言われた言葉だ。女子のバンドマン(レディー)に車中泊をさせて名阪神とツアーに行ってお客さん2人とかざらだった。それでもハーフバックしてくれたライブハウスのブッカーさん達(banana hallの今富さんとか)に感謝しながらそのお金でたこ焼き買って帰った青い時代。

先般リキッドのワンマンを発表した時も「身の程を知れ」とか「立場を弁えろ」的な事(要約)を言われた。もっともなのかも知れません。が、そもそも僕が身の程を知って弁えてたら家から一歩も出ずにその生涯を全うする引きこもりの先駆けな人間なので「自分の身の程は貴殿より知っているつもりなんです。それを超えてでも届けたいものがあるんです、ごめんなさい。」としか言いようがなく、それが結果届けられず動員酷いと言われてるってんだから始末に終えねぇな、おい。

エンタメはどれも素晴らしくて、いつも云いますが『ジャラーンと弾いて“♪うんちー”と歌って命を助けられた人だってきっといる』と思ってます。僕は♪うんちーと歌われても何も響かないけど(←)それで「明日からも頑張ろう」って思う人がいて歌った人もまさかそれで命救うって思ってないから励みになる謎のパワーを持ち合わせている。
僕はこれを“幸あるグルーヴ”と呼んでいるんですが、バンドで音を合わせる時にお互いの音を聴いてリズムを取ったりするんですが、その時に

「オマエのリズムのおかげでいいプレイできたよ!」
「え、俺はオマエのリズムでリズムキープしてたんだけど?!」

みたいな時があって、それって《在ると言えば在るが、無いと言えば(観たり手に取ったりすることは)無い》っていう究極のエモ(幸あるグルーヴ)だと思ってて。演者側ではない僕は、いつもその瞬間に立ち会いたい。そしてそれを広くみんなに知らせたい。と思ってるんです。

で、自分自身が『ステキだ』と思う人たちが作り出すものを自分自身が『一緒に頑張ろう』と思う人たちに板の上に立ってもらって歌って踊ってもらう。僕はそれを「ねぇ、コレすごくない!?」って声を大にしてひとりでも多くの人の琴線に触れてもらいたい。ということしかできないので身の程を弁えている場合ではない。となります。

自分に興味があることしか出来ないからそれを生業にしてて、腕があるわけではないので『それを広く周知してもらうコト』に生き急いでるんですが、そう言う事を思わせてしまう、言わせてしまう自分の至らなさと、もっとステキな景色を魅せることができていない応援してくれる方々や、メンバー・関係各位の皆さんには「がんばる」としか云えないので(結果根性論)、もうしばらくお付き合いいただければ嬉しいです。


あとライブに来てください。楽しいから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?