パスザバトン

(「いい」「わるい」の話ではないです)

40年前くらいにはインターネットもなくて20年前くらいまでSNSもなくて
今の「若い人」と呼ばれるジャンルの人たちは生まれた時からネットやスマホやSNSが普及された状態から始まっているからだいたいのものは「ある」っていうのが前提で生活してるからクリエイティビティなものを始めるのはとてもスマートに始められるんだと思う。

それが羨ましいとかの話じゃなくて、なんかの感触に似ててずっと考えてたんだけど、これは多分「若くない人」と呼ばれるジャンルの人たちが言われてきた「戦争を経験してない」の感覚に近しい気がする。
『蛇口をひねれば水が出て』『テレビをつければ娯楽があって』みたいなことを言われているアレ。

最近ユーチューバーとかの動画観たりとかしてると「この感じなんだったけな…」と感じることがある。それをずっと考えてたんだけど、これは多分「80年代に民放がやってたバラエティ」の作り方に近しい気がする。
『どっきり』とか『突撃訪問』とかのアレ。

「若くない人」の時代はまだ貧富の差が激しく明確で
「若い人」の時代はSNSやスマホで時々刻々とカーストされてて
「年配の人」の時代は空からミサイルが降ってくる

みんなそれぞれ大変だ。

文明は進化を続けて人生100年時代だけど人が与え続けられてるのは

「紡ぐこと」

しかない気がする。
「死ぬこと」が確定してきた状態で「生まれてくる」人生のなかで得たもの
経験・人脈・知識・資産等々、その人が人生で得たものを「誰にどう紡ぐのか」。誰にそのバトンを渡して、誰にそのドアの鍵を開けるのか。きっとそれが「文化」。

だから「文化」に必要なものは『信頼』と『感謝』。HIPでHOPな感じだけど大なり小なり「文化」はそこにしか生まれなくてその集まりが『コミュニティ』で『文化』が派生するからこの2つは表裏一体同じもの。

「歌が上手い人がいる」
「いい曲(だと共感する)を書く人がいる」
「その曲に詩を載せる人がいる」
「それを拡めたい人がいる」
「それを届けたい相手がいる」

例えばこれを全部持ち合わせてる人はたぶん居なくて、それぞれに特化した人が奇跡的(奇跡は気がつかない必然です)出会うことでコミューンが生まれて。その「コミューンA文化」と「コミューンB文化」を

「繋げたい人がいる」

多分ずっとこれ。アウストラロピテクスからずっとこれ。

ただ、ともすると
『誰(なんかいい感じの人脈とか持ってる人)と出会えるか』
とか思いがちだけど結局『自分が生きてきた道の先』にしか人は現れないからどれだけ自分が人を惹き寄せられるかって話なのでとどのつまり全ては自分次第で《『質量不変の法則』が法則なら目に見えないチャンスやキッカケもきっと同じ分だけ平等に訪れます(測定不可能)。ただそのチャンスが来た時、手を伸ばした先にそれを掴めるかどうかは日々の貴方の『質』の問題です。》という話はメンバーに時折します。スピリチュアルっぽいけどマジでこれしかないので。こと『信用』と『信頼』は自分で築くしかないし、多分今年はそれが表面に来るターンだと思う。

本当に今の世相が大変でどうにもならないことがたくさんあるけど、それに合わせて何かの見出しよろしく、誰かを揶揄したり非難したり笑いを取ったり(注:芸人さんのソレは別ジャンルです、アレはプロとしての仕事で人を(自身の責任をもって)揶揄してることなので)しないと気持ちもやってられない世の中ですが、僕らがやってる『芸事(芸人さんの芸事とは別)』は『プロ』である(になる)自覚の上でたくさんのオモシロイをつくって届けてたくさんの楽しいコミュニティを作りたい。

今年は正月からずっとこれに付いて考えてて最近つとそれを感じる出来事が多々あり(あと株主総会で地獄を味わって)逆に考えをまとめることができたので(読んでもまとまってないかもだけど自分の中では府に落ちてるからいいんです)忘備録として。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?