アイ・ケイ・アイ

「生き急いでいる」とよく言われます。
果たして本当にそうでしょうか。
「急いでいる」というのは『どこにいくかいつ着くか』を知り得ているから「急ぐ」のであって、こと人生においては『いつ着くか』なんてマジで意味わかんなくないすか?これ書いている時に巨大隕石が落ちてきたら、それが『その時』で、その時を知ってて急いでいたなら『我は急いでおる』と言えるのでしょうけど。そんなのわからんちんじゃないですか。
なので我々は生まれた時から見えないゴールに向かって走り続けなきゃいけないルールの中、生きているわけです。と思っておる訳です。
そうなると必然的に「やっべ!」ってなって、やるべきコトをやっておかないと遺憾。誠に遺憾である訳です。

20年以上前にひとりの仲間が亡くなりました。バイト先の女子の彼氏だと紹介されて、ちょいちょい呑んだり朝まで騒いだり。たしか3〜5歳くらい年下でよくわからんですけど、妙に懐いてくれてて。ある夜、家に電話が掛かってきて(携帯とかね、まだね、アレだから)「俺マジでケンタロウ(さん)のコト好きっす!また遊んでください!」っていうだけの電話で「なんじゃそりゃ」的な感じで終わったんですけど、1週間経たないうちに交通事故で死んじゃったんです。

そして今日が彼の命日…。なんてことは全然ないんですけど命日10月だし。

でもその時から「のんびりしてらんないな」と刻み始めたかもしれません。
だって義務教育の95%を家で過ごしてきた人間ですからね元々は。「巻き返さなきゃ」っていうのがどこかにあるのかもしれない。
「生きてる証を…」なんて事も微塵も思ってないし「真っ当な人生を…」とも思ってない(ていうかソレはもう無理確定)。ただ否が応でも僕に関わってしまった人には何某かのバトンは紡がないといけなくて、そのバトンの「質」をよく。いいバトンを渡してあげたいとは思ってます。木の棒からラップの芯、プラスティクの筒から公式用のイイヤツ。その為には「生き急いで」動かないと間に合わないですよね。僕の寿命も関わってる人の時間も。時間は全てにおいて平等なので(なので遅刻には相当敏感なタイプです)。

特に今なんて、人様の御子を板の上に乗せて「歌って踊れ」って言ってる訳ですからね。知りうる限りのものを(強制的に)紡いでいきたいと思ってますし、更に知って紡ぐ糸の質を上げたい(バトンはどこへ)。思ってるだけです。嫌いにならないでください。

ちなみに僕にも御子はおるんですが、それらには「学校なんて行っても意味ないし行かなくても社長にはなれるから行かなくていい」とか「好きに生きて」とか言ってたらフツーに皆勤で学校行ってフツーに大学卒業してフツーに独立して好きな事やってるんで世の中の正解は謎です。ただ全員世間で云うところの「生き急いでる」です。それが血筋なのか正解なのかわかりませんが原始時代だったら「生きるために出来る時に狩りをする」みたいな事かなと思います(たぶん違う)。

単純に好きなことしてたら時間が経ってた。だけかもしれません。
ほっといても勝手に死ぬから死なないようにね。って話。

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