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とりもなおさず

とりもなおさず
2017年6月8日 21:01 のアーカイブです。


*  *  *


長年の夢だったのです。

テレビで見ている時から、直接見もしないのに愛着がありました。母や恋人に、「それずっと言ってたよね」と言われるほど、口にしていたし思い描いていました。

子どもの頃から、小学生か中学生か忘れてしまったくらい子どもの頃から望んでいたのに、いざ現実にしてみる時は、呆れるほどに唐突だったのです。

仙台でも肌寒くないくらい気温が上がっていた5月。会社員にとってご褒美のような連休の時間。連休に片足を突っ込んでいた5月1日、正確にいうと4月最後の日の夜中に、思いつきもいいとこで、焦りながら座席を押さえて、2日の昼前には新幹線に乗っていたのでした。

東京に着き、急いで横浜へ。思いつきの予定は脆い。あっけなくボロが出て、到着の時間を過ぎることが分かった。ごめんなさい。泡沫の夢になったらどうしよう。このために400kmを来たんです。どうしても、どうしても。

さすがに子どもではないので、電話を一本入れます。遅れますが、開始時間には間に合います。思いの外電車は遠い。少ない。モノレールと言えばいいのか、空中に止まる駅を降りると、まだ遠い。ほんの二日くらい前に買ったスニーカーを履いてくるべきだった。

そしてここに来て、何年も息を潜めていた方向音痴が頭をもたげる。焦りと罪悪感がのしかかり、楽しげな場所に似合わず顔をゆがめて走っていたようでした。

八景島シーパラダイスのひとつのエリアから、またひとつのエリアまで。走って所々の案内の方に場所を聞き、チケットを買い、また走って辿り着きました。電話した方ですね?−−咎められることもなく、迎え入れてもらえました。有り難い。

安堵したものの、まだ吹き出す汗は引いていない。ついさっきまでの絶望感と、無事会えるという高揚感に酔いを感じながら丈夫なウエットスーツを着ます。着るだけで体力が要るごわごわとした水着。係員さんに背中のファスナーを引っ張りあげてもらった。

居合わせた人と一緒に、彼らの待つ区画へ。四角か五角になっていて、平行四辺形とも台形ともつかない水槽は、一瞬北アフリカの国境線を思わせる。

彼らは既に泳いでいた。それは当然のことだけれど、余裕の表情で私たちを待っているようでした。人を受け入れる彼らの、なんと可愛らしいことか。そしてなんと大人びていることか。

水の冷たさに慣れるところから、遊んでもらっていた。そう、私たちが遊ぶのではなく、信じられない運動神経があって、初対面の人に動じない彼らに遊んでもらうのだ。

ふかふかとした脂肪に包まれたシロイルカは、パグのような寸法の穏やかな顔と、妙に長さのある胴体をしていた。水槽で顔を合わせて間も無く、しょっぱい水をかけてやる。すると胴体と変わらない幅のある顔の、常に微笑んでいるような口に海水を含み、振りかぶって大砲のように浴びせてくれる。水に潜る前から、滝を浴びたようにずぶ濡れになってしまうのです。

はしゃいで騒ぐ私を前に、シロイルカは「あはははは」と楽しそう。本当にけたたましく、水をかけてきゃあきゃあとしてる様子を見て笑うのです。嗚呼なんて可愛い。

彼らはよく訓練されています。知らない人だから合図を聞かないなんてことはないのです。水面をたたくとヒレを上げてくれました。イルカの手につかまってくるくると回る、端で待っている下から潜り込んでもらって背中に乗る、口にもそっと手を入れさせてくれました。

慣れない人だけど、とてつもない好意を持って手を伸ばしていることは、きっと彼らは察してくれている。それがまた愛しくなる。

時折魚をポイポイ口の中に投げながら、輝くような数十分が過ぎていきました。隣の水槽では、もっともイルカらしいシルエットをした二頭のイルカと、シロイルカより小さいほどの可愛いクジラが待っています。クジラはしずかちゃんといいます。

泳げて良かったと、この日ほど感じたことはありませんでした。延々立ち泳ぎをしながら、ときに時速40kmだというイルカの背びれにつかまり、お腹側につかまり、消費する体力以上に楽しい時間を過ごしていました。

なぜか、触れもしない見てさえいない10年以上前から、イルカが好きで、ふれあえる自信がありました。「イルカとお友達になる」そればかり言っていたのです。あんなに突然出かけられたのは、なぜか強かった自信に突き動かされたのかもしれない。

果たして、夢が叶うことは、幸せでした。





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