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『現代と戦略』永井陽之助

 ぼくは護憲派の法学部に居たんだよ。ゴリゴリの護憲派だ。かつての社会党の土井たか子氏が学んだと言う学部だ。田畑忍という護憲派の守護神のような人が幅を利かせておったところで、当時の憲法の講座担当の教授が自衛隊を合憲だと言う教科書を出したのがけしからんと言うことで無理を押して緊急講義が行われたようなそんな雰囲気だった
 ぼくが学部の頃は、もうベトナム戦争も終結して落ち着きを取り戻したような頃で、米帝ではレーガン、英帝ではサッチャー、我が国は中曽根と勇ましい連中が再び現れ出したような頃だった。でも、経済学の講座はマル経、近経のにはに別れておって、未だ、マルクス系の経済学というのがかなり幅を利かせておった。ぼくたちの時代にミルトン・フリードマンが『選択の自由』と言う本を出し、テレビ番組にもなり、レーガンやサッチャーは新自由主義の小さな政府論を持って行政の権益を野に放つ政策をどんどんやりだしたんだよ。わが国では中曽根内閣の行政改革がそれだ。第二臨調という機関がそれを推し進めた。ぼくはその一環の国鉄民営化の意思決定の過程を追いたかったので、新聞、総合雑誌、週刊誌だけを使ってどれだけ終えるのかというのを学部のゼミ研究のテーマにした。やっては見たが、基礎情報の収取の仕方と分析だけでは長くなるだけで全く面白くなかったので、ゼミ論の前半はそれで、後半は国鉄再建試案というようなものにした。その過程で、国鉄民営化が如何に困難なものか思い知った。当時の国鉄の労組、国労は左派の巣、もっと言うと武闘過激派の巣だったのだよ。役人と左翼ゴロがやってたかって非効率な経営体を食い物にしていたのだよ。どうすれば良いかは明らかなのだが、その二手に分かれた組織が既得権益を守るためにあまり言いたくないような凄まじい反対闘争をした。左翼過激派も世の流れに抗しきれないのだがなんとか振り止まろうとするものだがら、あちこちでテロ事件、内ゲバが発生し人殺し、殺し合いが横行した
日本がある種テロルのメッカだったなんて今の若い子に言っても信じられないと思うが、爆破事件やハイジャックが横行した時代の中での改革だったんだ
 国内はそんな時代だった。海外もベトナムでの米帝の敗戦は大きなインパクトがあった。米帝の自滅によって、赤い国々の刑部がつのって対抗しなきゃってムードが蔓延し始めた時期だ。
 ぼくは、本来、国内政治に関心があって、国際関係にとても疎かったのだが、護憲派の夢見る乙女のような言説にも、改憲派の勇ましい言説にも全く共感できなかった。
 夢見る乙女論は、論外だと思っていた。かと言って我が国に軍事運用能力が全くないのは先の大戦の過程を毎年追い出していたのでよく曲がってしまったのだよ。
 だから、我が国の運営能力の低さから軍備を持って国防をするとかえって被害が大きくなってしまうという意味から、動機としては諦めによる護憲派と言えると思うんだよ

 そんな中で、吉田の敷いた戦後路線をそのまま維持するのが1番無難だと思ったので、この永井陽之助先生や高坂正堯先生のいわゆる戦後レジームを維持するのが得策だと学部の頃は思った
 でもね、今ぼくも還暦を越して未だにその路線が続いてしまっていることは明らかに我が国、ぼくたちの怠慢だったと反省している

最近、よく思うもは永井先生や高坂先生が生きておられたなら今の世の中をどう評価させるだろうか?
 いや、どう言われるかは想像がつくのだよ。でも、実際の肉声、文章で知りたいと思うんだよ

文藝春秋に連載させていた頃から読んでいた
Kindleでも配給されている

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