ビビリを見捨てようとする世界は危険である。
僕は以前、「石橋を叩かずに渡る者の真似事はしない。」という記事で、「石橋を叩いて渡る人は負け組になりやすい(意訳)」という考えは、当たっているようで間違っているところもあると言った。
あのときはもっともらしいことを言ったが、それ以上に考えることがある。
何に対しても果敢に挑戦する、石橋を叩かずに渡る者だけが、世の中を変え、成功者になれる。それは頭で考えれば、正しいことを言っているのはわかる。
だが世の中には、1度の挑戦に失敗しただけで、心が深く傷つき、自殺したり、自殺すらも怖くてできずに無気力化する人だっている。
それを恐れているからこそ、人は石橋をしっかり叩いて、安全を確かめて渡るのである。
実際僕がそうだし、日本ではそういった人の方が多いのではないだろうか。
そう考えると、「石橋を叩いて渡る人は負け組になりやすい(意訳)」と言い放つ、某お笑い芸人兼絵本作家のような成功者たちは、そういった、心が傷つくことに全く耐性がない人をどう見ているのだろうと感じる。
まさかとは思うが、彼らに「ダメ人間」というレッテル貼りをして、見捨てようとしているのではないか。
自分で発信できる時代なんだから、そんな奴は助けたくないという気持ちはわからなくはない。しかし、彼らのなかには、十分なお金と時間さえ与えれば、自信がつき、素晴らしい能力を発揮する人だっているのだ。
自分自身で発信できる時代だからといって、その挑戦を渋る人、発信がうまくいかない人たちまで見捨てれば、世の中の人全員が損失を被ることがあるのではないか?
石橋を叩いて渡る人が負け組になりやすいと考える世の中は、人格で貧富の差が決まるという、想像を絶するディストピアになるのではないか?
そしてそれは、人間の本来の生き方と相反するのではないか?
そう感じるからこそ、たとえビビリが損をすることそのものが事実だろうと、僕は全面的に賛同できない。
僕は今後も、ある程度石橋を叩いて渡るビビリとして生きていくつもりだ。
一生成功者にはなれず、今よりもっとひどい人生を送るかもしれない。
だが、僕のプライドというか、心をズタズタに引き裂かれて、何もしなくなるダメ人間と化すより、だいぶマシなのかもしれない。
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