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見たかった景色と、理解力の限界。

アニメ「進撃の巨人」シリーズ全94話、約37時間30分を見切った。

ながら見せず、倍速視聴せず、OPEDをスキップせず、1話ずつ感想をSNSにポストするというこだわりを通していたら、休み8連休と2.5連休の約10日が消え去った。

正直、もう二度とこんなことは出来ないというくらい精神的、肉体的限界で、時間も一点張りのような使い方をして限界で、他のことをほとんど犠牲にしての強行策だった。

ながら見をしないのは集中して大きい画面でしっかり見たいというのと、OPEDをスキップしないのはここで歌を入れる演出もこだわりが有り物語の盛り上げの構成だろうからしっかり味わいたいというのと、倍速視聴しないのは間合いの演出も大切にしっかり味わいたいというのと、1話ずつ感想を書いたのは忘れっぽいのも有るが、比較的長めのシリーズモノなのでネットでも、現実でも、単に「観た」と言っても誰にも信じてもらえないと思ったからだ。

見終わった今、YouTubeやSNSなどに出ている二次創作、まとめ、パロディ、感想などのカロリーの低いコンテンツを楽しんで消費し始めている段階だ。過去に見かけても意味がよく分からなかった進撃のネタが理解出来るようになって嬉しいし、理解の幅が広がって嬉しい。

ようやく感想しっかり書くだけの力と時間と環境が揃ったので、このブログ記事を書き始めるに至った。疲れて極寒や猛暑で時間の無いときにブログなんて書けない。

ふと、進撃シリーズを制覇して見たかった景色はこれなのか?と感じる。主人公のエレン・イェーガーでは無いが。ネットの進撃ネタを理解出来るようになって、感想をしっかりポストして、進撃シリーズを制覇した著名人と同じ場所に立つ。これがしたかったのか?と感じる。

学校のテストと同じだと思っている。一夜漬け的消費の仕方で理解したものは短期記憶、進撃アニメシリーズだったら2013年から2023年まで10年かけて放送されたので、それを週一1話でじっくり感慨に耽り、感傷に浸りつつ理解したものは長期記憶になって全く感覚や達成感が違うと思う。

正直、俺も理解力が有るほうでは無いので、それに加えて詰め込み的な消費の仕方をしたので、ハッキリと何がどうだったかというのが思い出せない。まとめ動画を見たら「ああ、このシーンあったなぁ。」「この流れやドラマあったなぁ。」と感じるが、何も無い0から1を思い出しづらい。1から2は簡単でも。

進撃は完結が近付くにつれて、演出、時系列、キャラクターの感情や構成が複雑になってゆき、正直「主人公の気持ちを書きなさい。」的な問題を出されても俺は書けない。理解力の限界だ。現代文が100点満点中32点だった俺だからというのも有るし、何より理解より見通すことに必死だった。「進撃一生終わらん」と何回も思った。だから見終わった時、充実感より達成感しかなかった。

はじめしゃちょーというYouTuberの言葉を借りるが、感想を一言で言うなら「一つの歴史だった。」そして「繰り返される争いと、輪廻の物語だった。」と思う。とにかく人が沢山死ぬ。あっさり死ぬ。そこに一つの人生が有ったと思えないくらい、どんどん死ぬ。実際に戦争というのもこんな感じなんだろうかと思うくらい軽く死ぬ。作業所の支援員さんが言っていた「今の人間は戦争を望んでる。平和ボケしてる。」というのも、こういう作品が生まれて流行ったのが証明してるかなと思った。

争いは無くならないと思っていたからエレンは人類を8割滅ぼそうとしたし、アルミンはそんなことをしたら人が希望すら持てなくなるようになると叱った。

一つ一つのやり取りが深く複雑で、全然分からなかった。分からないことは無いが覚えられない。細々感想を書いていたら10年かかる。

総じて言えるのは時間がとにかくもったいなかったが、見通して良かった。思っていた流れと少し違うけど、見たかった景色に辿り着いた。ありがとう「進撃の巨人」。楽しかった。ということ。

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