Spinoza Note 39: 神の本質(第2群-2)

このグループには定理25と24が含まれる。定理25は定理26を支える。定理26が定理29と28を支えるので、定理25が物の世界と人の世の有り様を支える基礎である。定理25からみていく:

Deus non tantùm est causa efficiens rerum existentiae sed etiam essentiæ.

Eliot訳:God is not only the efficient cause of the existence of things, but also of their essence.
Elwes訳:God is the efficient cause not only of the existence of things, but also of their essence.
Wienpahl訳:God is not only efficient cause of things' existing, but also of (things') being.
畠中訳:神は物の存在の起成原因であるばかりでなく、また物の本質の起成原因でもある。
高桑訳: 神はものの存在のみでなく、その本質の動力因でもある。
佐藤一郎訳:神は物の実在の作用原因であるだけではなく、また有りかたの作用原因でもある。

essentiæ を本質と読むのは賛成しない。佐藤氏は「有りかた」と訳してくれている。Wienpahlはそのような読みを教えてくれた人だが、訳はわかりづらい。things' being とすることで、活動が現在進行形であることを示す。

ここに至るまで、在る物 rerum existentiae を論じていたので、その源流である「有りかた」に言及していると理解して良いだろう。この定理25は定理15を参照している。定理15については Spinoza Note 30: [定理15] 存在するものはすべて神に起因する を参照されたし。

さて、次に定理25と対をなす定理24を検討する。定理24も定理25と同様、物の世界と人の世の有り様を支える基礎を成す。定理24をみてみる:

Rerum à Deo productarum essentia non involvit existentiam.

Eliot訳:The essence of things produced by God does not involve existence.高桑訳:神から流出されたものの本質には、存在が含まれない
佐藤訳:神によって産み出された物のありかたは実在を伴わない

佐藤訳が正しく感じる。定理24は簡素でわかりやすい。しかし実際に証明で言及されるのは補足説明(定理24系)の方である。

Hinc sequitur, Deum non tantùm esse causam, ut res incipiant existere ; sed etiam, ut in existendo perseverent, sive (ut termino Scholastico utar) Deum esse causam essendi rerum. Nam, sive res existant, sive non existant, quotiescunque ad earum essentiam attendimus, eandem nec existentiam, nec durationem involvere comperimus ; adeóque earum essentia neque suæ existentiæ, neque suæ durationis potest esse causa, sed tantùm Deus, ad cujus solam naturam pertinet existere (per Coroll. 1 Prop.14).

佐藤訳:ここから帰結するのは、神はただ物が実在しはじめる原因であるだけではなく、また実在し通す原因でもある。言い換えると(スコラ哲学の用語を用いれば)神は物の「あることの原因」causa essendi でもある、ということである。なぜかといえば、物が実在するにしろ、実在しないにしろ、我々がそれらの有りかたに目を注ぐそのつど、その有りかたが実在も持続も伴わないことを見いだすからである。だからして、物のありかたはそれらの実在についても持続についても原因であることが出来ない。独り、それの自然の性に実在することが属する神だけがその原因である(命題14系1より)

わからない。工藤&斉藤(中央公論社)の解説が有用だ。上の訳文の causa essendi は彼らの訳から拾った。

ここでスコラ学派というのは、トマス・アクィナス(1225-74)のことである。トマスはその著「神学大全」において、宇宙が存在する(存続する)原因としての causa essendi と宇宙の創造の原因としての causa fiendi とを区別している。なおこの系において述べられていることは、スピノザの「国家論」第2部第3章、「形而上学的思想」第2部題10章、「デカルトの哲学原理」第1部定理12二も述べられている。

神の仕事を二つ挙げている。ひとつは物事を作ること、もう一つはそれらを継続させることだ。この区別は私の中で曖昧だった。Spinoza は「物事を継続させる力」を強調したいのだろう。私の中で「神の働きに伴って物事が生起する」様は捉えられていたが、生起した物が「続く」様子は視野になかった。そういう読者が多いと予想して、Spinoza がこの定理・系を入れたのだろう。

この説の題目を「神の本質」としているが、「神の有りかた」あるいは「神の有り様」としたいところだ。後で直そう。

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