Spinoza Note 11: 永遠を知る

第1部最後の定義に至った。定義8は「永遠」である。これは神の定義となるはずだ。既に神を ens absolutè infinitum すなわち絶対無限の存在と定義したが、そちらは空間的な定義だ。永遠 eternity は時間的な定義である。

Per æternitatem intelligo ipsam existentiam, quatenus ex solâ rei æternæ definitione necessariò sequi concipitur.

Eliotの訳: By eternity I understand existence itself, conceived as following solely and necessarily from the definition of the thing which is eternal.
Elwesの訳: By eternity, I mean existence itself, in so far as it is conceived necessarily to follow solely from the definition of that which is eternal.
畠中の訳:永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。
高桑の訳:永遠性によって、私は、永遠な事物の定義だけから、必然的に出てくると考えられるかぎりの存在そのものを理解する。

わかりにくい。存在そのもの  ipsam existentiam とは何だろうか。これは定義というより、永遠が何を指すのかを述べている。Being の活動に伴って生起するすべての物事だろう。後に「Deus, sive omnia dei attributa sunt æterna. 神の全属性は無限である(命題19)」と述べている。ゆえに ipsam existentiam は 神の全属性である。

先に、Cantor の研究に言及しつつ、神の全属性は無限集合であると説明した。しかし Spinoza は無限集合を知らない。そのため定義に苦労している。結果、「永遠な事物の定義」で永遠を定義するという同語反復に陥った。そのような未完の定義により --- 「それのみから必然的に」 という限定が施され ---、eternity が conceive されると書いている。

conceive を日本語訳で「出てくると考えられる」としているが回りくどい。「把握される」でよいだろう。「出てくる」と訳すのは、定義から存在 existence が出てくると解釈するからだが、それは誤りではないか。定義から 存在 existence は生まれない。まとめると、次のようになる:

  • eternity は永遠な事物の定義から必然的に、かつその定義によってのみ把握できる

  • eternity は全存在を指す(外延を示しているのであって定義ではない)

「定義によってのみ把握される」とは永遠が知的にのみ理解しうることを示唆する。経験的に理解することはできない。人は無限集合を経験できない。同様に、永遠も経験できない。神は知的に理解するほかない、それが唯一の手段だと Spinoza は言っている。この著作の意義を端的に表明している。

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