Spinoza Note 60: 神が idea を生じさせる

第2部の定理5と6は、神が属性を介して働くことを述べる。属性は互いに分離されており、動きが考えに影響したり、考えが動きに影響することがない。両者間の相互作用を除外することから、Spinoza が心身の相関に対してDescartes と異なる解決を計ることが予期される。原文と訳文(高桑による)を並べる。

PROPOSITIO 5
Esse formale idearum Deum, quatenus tantùm, ut res cogitans, consideratur, pro causâ agnoscit, & non, quatenus alio attributo explicatur. Hoc est, tam Dei attributorum, quàm rerum singularium ideæ non ipsa ideata, sive res perceptas pro causà efficiente agnoscunt, sed ipsum Deum, quatenus est res cogitans.
観念の形相的存在は、神が思惟する事物と見なされる場合にだけ、神を原因として認め、神が他の属性を通じて説明される限りは、そう認めない。換言すれば、神の諸属性の諸観念並びに、個々物の諸観念は、対象そのもの、もしくは知覚された事物を作用因とは認めず、ただ神が思惟する事物である場合にかぎり、その神自体の作用因と認めるのである。

PROPOSITIO 6
Cujuscunque attributi modi Deum, quatenus tantùm sub illo attributo, cujus modi sunt, & non, quatenus sub ullo alio consideratur, pro causâ habent.
任意の属性の諸様態は、その様態を持つ属性のもとに神が考えられる場合に限り、その神を自己の原因にもつ。しかし、神が、何か他の属性のもとに考えられる場合には、そうでない。

定義5は、観念が生じるのは神が思惟するときに限るということらしい。別の方向から説明すると、体を動かしても観念が生じない。そのような具合で、属性に基づいた分業態勢が敷かれる。定義6は定義5を一般化しており、運動が生じるのは神が延長する extending ときに限るというように、神が原因といえるのは生起した出来事に対応する属性を介したときだけだと述べている。

以下の表に、定義5の証明にて参照される諸定義を示す。

神が idea を生じさせる 定義5と6

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