Spinoza Note 58: 思惟と延長が神の属性に含まれる

第2部の定理1と2は神が二つの属性、すなわち思惟と延長を持つと主張する。原文と訳文(高畠訳)を並べる。

PROPOSITIO 1
Cogitatio attributum Dei est, sive Deus est res cogitans.
思惟は神の一属性である、或いは、神は思惟するものである

PROPOSITIO 2
Extensio attributum Dei est? sive Deus est res extensa.
延長は、神の一属性である。或いは、神は一個の延長をもつ事物である

各定理について、Spinoza が論証で言及した定理と定義を横に並べる。背景を薄青で塗ったものは第1部にて言及されたことを意味する。

思惟と延長が神の属性に含まれる 定理1と2

定理1は「神が考える」ものであることを述べている。定理2は神が物でもあると述べている。2点目が特異なので注意する。Jarrettが指摘していて気づいたが、神が延長を持つとは神が「体を持つ」ことだ。神が肉体を持って存在すると言われると驚く。ひげを生やしたおじいさんとして具象化された神様が現実にいるのか。そんなはずはない。 Spinoza は人の姿をした神を認めていない。神の体とは大自然そのもの、全宇宙を含む巨大な存在だ。

(これも Jarrettからの受け売りだが)全宇宙としての神をみていると、形を変えるし、離散したり、一部が死滅したりしている。神が分割され、数を変えている。神は不滅の存在ではないのか。そのように攻撃されたわけだが、Spinoza は言い張る:そう見えるだけで、実際はひとつなんだ

すでに Spinoza に相当、感化されているから「全宇宙がひとつの神だ」と言われても「そうに違いない」と肯定していまうが、冷静に考えたらおかしな話だ。自分が飲んでいる水も、道ばたに転がっている石も、自分と同じく神の体であり、ひとつのものだ。それを「わかった」と了承するには相当の勇気がいる。いや、信じていない。正確に言うと、そのように感じられない。

そこは理性の力で先に進む。読書なんだから。

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