Spinoza Note 16: [定理5] 無限なものの同一性を考える

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In rerum naturâ non possunt dari duæ, aut plures substantiæ ejusdem naturæ, sive attributi.

Eliot 訳:There cannot be two substances of the same nature or attributes.
畠中訳:自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない
高桑訳:自然のうちには、同じ本性もしくは同じ属性を持つ二つ、または、多くの実体というものはありえない。

Spinoza の証明を追ってみる。まず定理4を使う:(文中の番号(1)と(2)は著者が便宜的につけた)

定理4. 二つ、もしくは多くのものは、実体の属性の多様性によってか (1)、でなければ変状の多様性によってか (2)、いずれかによって自らを差異化する。

これは前項で検討した定理だ。Jarrett の読解は Spinoza の本意と異なるかもしれないというところで終わったので、論理式に翻訳しなかった。ここで式にしておく。属性の多様性を直接定義するのは難しいから、同一性を定義し、その否定として多様性を扱う。実体 x と y の属性集合をそれぞれ Att_x、Att_y とおく。Att_x = Att_y となるのは、Att_x ⊇ Att_y かつ Att_x ⊆ Att_y のときである。(それぞれ、集合 Att_x が Att_y を含む、集合 Att_xが Att_y に含まれる、と読む。)Att_x ⊇ Att_y を次のように定義する:

Att_x ⊇ Att_y iff
∀x. ∀y. ∀z. ∃w. [ is-attribute-of( z, y ) ⇒
                              is-attribute-of( w, x ) ∧ z = w ]

読み:実体 y の全ての属性 z について、実体 x に同じ属性 w がある。
まず、(1)「実体の属性の多様性によって」相互に区別する場合のみ考える。属性の包含関係を上のように定義するが、Spinoza によれば属性は無限にあるので実は有限時間内に検証できない。しかし、都合よく属性の集合が有限だと仮定して先に進む。

属性の集合に関する包含関係を使って、実体 x と y の属性(集合)が互いに異なることを Att_x ≠ Att_y と表現する。もうひとつ、実体 x が別の実体 y に対して自らを区別することを distinguish-from( x, y ) と表現する。これらを用いて定理4を次のように書く:

∀x. ∀y. [  ( Att_x ≠ Att_y ) ⇒ 
                  distinguish-from( x, y ) ∧ distinguish-from( y, x ) ]

証明したい定理5(の前半)「同じ属性を持つ二つの実体 x と y は同一である」を次のように書く。'⇒' の右から左へ、「実体 x と y の属性(集合)が同じであるのは、x と y が同一だからだ」と読む。

∀x. ∀y. [ ( x = y ) ⇒ ( Att_x = Att_y ) ]

定理5(前半)は定理4から直ちに証明できる。まず定理4の対偶をとる:

∀x. ∀y. [  ¬ ( distinguish-from( x, y ) ∧ distinguish-from( y, x )  ) ⇒
                 ¬ ( Att_x ≠ Att_y )  ]

否定 '¬' を括弧内の式に適用する:

∀x. ∀y. [  ¬ distinguish-from( x, y )  V  ¬ distinguish-from( y, x ) ⇒
                ( Att_x = Att_y )  ]

 ' ¬ distinguish-from( x, y ) ⇒ x = y ' を想定し、該当箇所を ' x = y ' に置き換えると上の式は定理5になる。以上で証明終わり。

簡素な証明だが、Spinoza も短く、「もし、(実体が)諸属性の差異によって区別されるとすれば、同じ属性を持つ実体は一つしか存在しないということが容認されるわけである」(高桑訳)としか書いていないので、これでいいだろう。

もうひとつ、定理5で Spinoza は「同じ本性をもつ二つの実体は存在しない」と書いている。これは定理4の(2)と関連し、ふたつのものが「変状の多様性によって」自らを区別する場合があるので、変状が同じならその元の実体はひとつだということを証明する必要がある。たとえば以下のような式だ:「実体 x と y の変状が同じなのは x と y が同一の実体だから」

∀x. ∀y. [ ( x = y ) ⇒ ( Mod_x = Mod_y ) ]

しかしここからの Spinoza の証明が尋常でない。前半で属性を扱ったのと同じアプローチをとれば難なく証明できるが、そうしない。なぜなら「実体が変状に先立つから」である。そういわれても納得できない。「状態を度外視し、実体そのものを観察しなければならない」理由がよくわからない。

定義3をみよ、と Spinoza はいう。「実体によって私は、それ自らの中に存在し、しかもそれ自らで理解されるもののことを理解する」と書いてある。それ自らで理解されるのだから実体そのものをみよ、ということらしい。前半で属性を検討する際、実体をみよと Spinoza が言わなかったのは属性が実体だからである。わかりにくいが Spinoza の存在論において属性は実体だ。

実体をありのままに考察すれば、それが己れを区別するものとはとらえられないだろう、という。ありのままをみれば真実がわかる、との主張だが、その根拠は公理6「真の観念は、その対象と合致せねばならない」である。

飛躍だ、それで証明になるのか? と驚くが、Spinoza の気持ちがわからないでもない。属性で実体を見分けるところを検討したとき、属性集合間の相違を定義しつつ、実際は属性集合が無限だから検証できないと付け加えた。無限を妥協して扱った。

しかしながら、様態 mode の方は元より有限なのである。無限である神を有限のもので知り得ようか?と Spinoza が問うている。理屈を重ねて理解できるのはここまでだ。あとは跳べ! と言われている。

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