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ペースメーカー談義の的外れ

東京マラソンでのペースメーカーの所作がどうのこうのとかしましい。

何事もなければ好記録は選手の手柄になり、なにかあるとペースメーカーを責める。愚かなこと!! まれにペースメーカーをほめる例があるが、その場合選手はペースメーカーの援助をうけて好記録を出したということになるのかと皮肉りたくもなる。

(以下、ペースメーカーをPMと略)

西山選手や新谷選手らが残念な結果を直接PMのせいにしたかは知らず、今回のPMを責める論者らは、「ではPMがいなくても選手らは3日の記録は出せたのか?」と問うべきだろう。

表現はきつすぎるかもしれないが、PMはドーピングである。一切のレースでやめるべきである。選手みずからがペース配分を決め、自分の身体と走りをマネージしてこその勝利であり手柄である。自分がひとりでは守れないペースをPMに対しては間違いなく守れという理屈はアスリートとしての尊厳を貶めるものである。

測定器の世界に校正という作業がある。ある測定器の精度をチェックするために一段高い精度の測定機器をもってする。そんな精度をふだん一緒に走っているような生身の人間に要求すること自体に無理がある。

PMのおかしさは、将来像として速度を設定した自動運転車が先導するマラソンを想像するとよい。そんなものがスポーツと言えるだろうか!? (そういえば、アメリカにはそのものズバリの犬のレースがあったような…)

川内くんがネットで「PMとはコミュニケーションをとるべき」などと書き、それがまた「さすが」などと持ち上げられている。笑止というか、議論のレベルが低すぎる。

MGCではPMがつかず、ところが大阪マラソンや東京マラソンではPMがつき、条件を満たすとMGCの3位が落とされる規定も理不尽なこと。ある専門家は「PMがつくレース、つかないレースがあってもよい」と発言していたが、どうかと思う!

ここは一番、選手の側から毅然としてPMを拒絶する声をあげるべきである。それがマラソンとマラソン選手の威厳を保つ道である。

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