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藤井聡太の凄み

ことわっておくが、自分は藤井のファンではない。というか藤井はもはや人々の好悪とは無縁の境地にある存在である。中継動画に「聡太!聡太!聡太!」などというコメントを上げる御仁がいるが、心配無用、藤井は放っておいても勝ち続ける。

そんな藤井もフルセットの末、伊藤匠七段に叡王位を譲った。藤井の強さをいやというほど見てきただけに感慨も一入である。早速「牙城崩壊」とか「藤井八冠の○○日天下」という心ないニュースが流れた。こういう連中は無視すればいいのだが、もしシンプルに一言だけ反論するとすれば、将棋のタイトルは一つ一つが一天下なのである。

一天下は譲ったが、藤井は依然七天下を睥睨しているのだ。なんの文句があろう。それを踏まえたうえで、われわれ将棋ファンは、より深化した面白い棋譜を観るために、果敢に藤井に挑む挑戦者たちを推せばいいのである。

匠七段は初挑戦の竜王戦も次の棋王戦も持将棋を挟んでタイトル戦7戦全敗だった。かなりのショックだったろうが、めげずに叡王戦を勝ちきったのは頭が下がる。第5局、「ほぼ不敗」神話のある藤井先手番を打ち破ったのも見事だった!

AIがいくら優勢を告げようと、それは勝利を保証するものではない。そこから終局まで間違えずに指しきるというのが大前提である。実際藤井は1%から逆転したこともある。

匠七段は100手前後に優勢になってから50手以上大きく間違えることがなかった。知る人ぞ知る、藤井の非勢は敗勢ではない。藤井の恐ろしいところは、みずからの負けを読みきった(多分相手よりも早く)上で、相手を試すような手を繰り出すこと。

ちなみに、藤井の唯一の欠点といえるのは、非勢を自覚すると分かりやすく表情や仕草に出ること。

最終盤、うなだれるような表情で駒を動かしていたが、某棋譜解説によると、それら一手一手(=王手)に後手頓死筋が隠されていた。匠七段が一手でも応手を間違えば逆転もありえたのである。その実例が昨年の王座戦であり、先日初防衛した名人戦第1局第2局だった。

実は投了後も数手の綾があったのだが、そこは藤井の匠七段に対する信用と敬意が勝ったのである。

藤井の強さは年初の王将戦や先日の棋聖戦の完勝譜によく現れているが、自分が藤井に凄みを感じるのは最終盤の逆転局(昨年の王座戦や先日初防衛した名人戦第1局第2局)で見せる表情にある。

先述のように、藤井は誰よりも早くみずからの負け筋を自覚するのだが、当然決着するまでは指し継ぐ。そしてあろうことか相手が緩手を指し、勝ちが転がり込む。こうした緩手の直後に見せる、自分が負けたかのようにうなだれる表情が実に雄弁なのである。曰く、「あぁ、また敵失で勝つのか」という…!

かくして、師匠の杉本八段がいみじくも語ったように、魔王藤井にもライバルができたわけで、まことにめでたいことである。将棋界も一強とその他大勢ではジリ貧だったろう。伊藤匠以外にも、藤本渚、高田明浩、上野裕寿など有望な新鋭が機会をうかがっている。6日に始まる王位戦では藤井七冠に大きな借りのある渡辺九段が静かに爪を研いでいる。王座戦の挑戦者は今日、羽生・永瀬両九段のいずれかに絞られた。両雄は藤井が八冠を網羅する過程で藤井に唯一完勝を許さなかった挑戦経験者である。

観る将にはたまらない夏である。

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