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毛越寺は「もうつうじ」か?

世界60か国を巡っても、日本を何周回っても、何も覚えない出川哲朗の突き抜けた能天気さに癒されて「充電旅」を観ているが、数回前のスタート地点は毛越寺だった。

懐かしさに思わず身をのりだした。初訪から半世紀以上たったが、当時の感動はあせていない。若いころから旅というとなぜか足が北(北海道・東北)に向いたものだが、最初の東北一周自転車旅で立ち寄ったのだった。

京都の大寺のような「あるまじき」威圧感はなく、広濶で静謐なたたずまい(いまほど観光客であふれてはいなかった)に藤原文化の洗練を感じたものだった。

と同時に、初訪のときから抱きつづけてきた寺名の訓み「もうつうじ」への違和感が立ち戻ってきた。寺のHPがみずから認めている訓みに物申すなんてナニサマのつもりかとお叱りを受けそうだが、無用老人の偏屈とご海容いただきたい。

自分がこだわる訓みは「もおつじ」。

「毛」をHPは「もう」と訓んでいるが、万葉仮名として「も」の音にあてられた文字だった。したがって「も」。「越」は、HPも説くように「えつ」が転訛して「おつ」。ここで止めておけばいいのに、HPはこれがさらに「つう」に転訛したという!?

どうしたら「おつ」が「つう」に化けるのか? というのが筆者の抑えがたい疑問である。


多勢に無勢、蟷螂の斧、妄言を承知の一席である。

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