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ごちゃまぜcafeメムの店長です。

メムに集う人々


ここにいる時だけ、自分らしくいられる気がする

常連客のひとりである彼は、そう言ってくしゃっと笑った。その彼は二十代後半に発達障害を診断され、今も障害者として生き、社会生活を送っている。

障害の名はADHD。注意欠陥多動性障害だ。

決して大きなお店ではないここ「ごちゃまぜcafeメム」では、どうも実家のような安心感を得られることが出来るらしい。その安心感がその人をその人らしくいさせることに繋がっている、のだろうか。

同じような声を、他の常連客の方からも聞くことがある。

皆それぞれ「生きづらさ」を抱えている。それが障害や疾患であったり、虐待や貧困という背景であったり、LGBTであったり、あるいはそういった分類から漏れてしまうものだったり。

言葉にすればそう、マイノリティという属性になるけれど、一様にあるのは「この社会で生きづらい」ということ。

上手に生きるというのは、簡単なことではない。

そんな人たちが、ここ「メム」に日々集まってくる。難しい話をするわけでもなく、何か特別なサービスがあるわけではない。

そこにあるのは、美味しい食事と、コーヒーの香り、ゆったりと流れる時間と、なんでもない会話。そんなお店だ(変わったタイプの店長もいるが)

そこで店長として過ごしていく中、折に触れてなぜそのような安心感を得られるのか、考え、そして、言語化してみた。

これはそんな「生きづらさを抱える人々」と「生きづらさを見つめるわたし」の話である。

わたしの抱える「生きづらさ」

少し「わたしの話」をしておく。

わたしと言えば特にこれといった障害や疾患の診断を受けてはおらず、目を背けたくなるような過去や現実を抱えているか、と問われたときに返答には迷う。

詳しく話せば、出生もまあ典型的では無いかもしれないし、小学生のころに虐めを受けていたし、十代の頃に両親が離婚をしたりしているので(しかも両親出ていっちゃったし)、順風満帆であったかといえば、それもそれで違うような気もする。

けれど、自分の中ではあまり深刻なことではなかったように思う。

しかし「生きづらさ」と呼ばれるものは確かにあった。そう感じている。むしろ今もずっと、柔らかくも、しつこく纏わりついている靄のようにそこにある。

ただ苦痛を伴わないだけで。

それは小学生のころから始まった。理由はよく分からないし、いまいち説明も出来ないけれど、時々わたしは「曇ってしまう子供」だった。

そういう時は、長くぼんやりとしてしまい、周囲の大人を心配させた。

確かに空は晴れているのに、わたしの頭上には「曇り空」が広がっており、どうしたのと、尋ねられても、うまく言葉にすることが出来なかった。

そういう時にわたしは、一人(独り)でいるように努めた。そうしていると、やがてその靄が晴れるからだ。ゆえに幼いころは友人を作ることが難しかった。わたしにとって他者は煩わしさを運んでくる存在だったから。

思春期になり、その「曇り空」の正体を少し掴み始める。

ある日、近所にあった立派な一軒家を見たときのこと。その家では恐らくひとつの家族が生活を営んでいる。

何十年とかかるであろう住宅ローンを支払うために、日々働く父親がきっとそこにはおり、それを支える母親がおり、そこで育っていく子供たちがいる。

もしかしたら愛犬の一匹くらい居たかもしれない。庭付きの一戸建て。

そんな想像を巡らせたとき、わたしは「気持ち悪い」と感じてしまった。この家では、そんな日常が数十年も変わらずに保たれていくのか、と。

多分それは一般的にはすごく幸せなことのはずだけれど(一般的かどうかわからないけれど少なくともそういう風に感じさせられる風潮はあったのではないか)。

しかし、それがわたしにとっては不快感への道のりだった。

どうやらわたしが思い描いている「幸せ」というのは、こうした一般的なものでは恐らくなく、もっと非典型的なもの、なのかもしれない。価値観が違うのかもしれない。

そんなことに気が付いてしまった。

高校生になり、より居場所を失っていく。皆が「典型的な幸せ」を目指しながら、受験勉強や就職活動に熱を入れていく中、わたしはそれが出来なかったし、クラスメイトの間で繰り広げられる会話は、そんな「典型的な幸せ」をベースに形作られた雑談である。

そこに混ざることは、簡単ではない。わたしはあっという間に孤立した。誰にも分かってもらえなかった。家族にも、友人と分類している他者に対しても、うまく心を開示できなかった。

そんな状況を変えたのは、外の世界であった。

当時のわたしは音楽活動に夢中になっていたのだけれど、訪れたライブハウスの一つが居場所になったのだ。

そこは「非典型的な幸せ」を求めて生きている人たちが集まっており、わたしが知っている大人たちとは、少し違う大人たちがたくさんいたからだ。

あそこに通っていなければ、今もわたしは孤独の中にいたかもしれない。

大学に進学するつもりは無かったけれど、解消したい問題があったので進学を選んだ。

それは、なぜ人の心は目に見えないのかということ。

それが見えれば、わたしたちはもう少し「分かり合える」気がした。だから臨床心理専攻の大学に進んだ。

けれど、そこで学ぶ内容は「教科書の中にある心」だった。わたしが確かに持っている「」は、教科書にあるものとは違う。臨床もすごく大事な学問だが、その時わたしが求めてる答えでは無かった。

そして大学を中退する。わたしの頭上には「曇り空」が広がっていた。

店長としての日々

それからというもの、わたしは「典型的」と「非典型的」を行き来しながら生きてきた。

時に製造業を営む会社で管理職を務めたり、大手の映画会社で働いてみたり、社会という枠組みに参加しようとし、そのたびにうまくいかず方向転換をしてきた。

その原因が「曇り空」なのか否かは分からない。けれど、協調性が無いと指摘されたことは決して少なくない。

大手映画会社での勤務の後、わたしはフリーランスとなり「出張コーヒー屋」と「映画製作」という二足の草鞋を履きながら生活していた。

そんな日々の中で出会ったのが、ここ「メム」でオーナーを務めるKarma(aka風間)だ。

KarmaとはSNSを通じて出会った。とある「依存症啓発漫画」に出てくるキャラクターのモデルになっていたのだけれど、そのキャラクターに惹かれていたわたしがフォローしていたのがきっかけだ。

依存症についても少しづつ詳しくなっていった。

ああ、思えばわたしは依存症だったのかもしれない。言葉に出来ない「曇り空」を抱えているとき、わたしは一人(独り)になろうとする。

子供のころ、一人(独り)になるのはそんなに難しくなかった。けれど大人になるにつれて少しずつ難しくなった。そういう時に頼ったのは、ゲームやギャンブルだった。

それらが楽しいからやっているのではなく、現実が楽しくないからやっていたのだ。

その瞬間わたしはわたしになっていた。

Karma自身も、依存症の当事者であった。薬物依存症を抱えており、現在も治療中で、もう何年も薬物は使用していないが、その後遺症に悩まされる日々が続いている。

また、被虐待児でもあったり、加害者家族であったり、その他にも語れぬものも含めてとにかく持てうる「生きづらさ」を実に多く抱えている人であった。

一方で、社会をより良くしていきたいという情熱にあふれている人物だった。

そのKarmaに「メム」の店長をやってほしいと打診されたのだが、わたしは二つ返事でそれに応じた(ちなみにマジで5秒でレスポンスした)。

お店のコンセプトに惹かれた部分も大きいが、そんなKarmaの目指す社会のビジョンに惹かれたのが理由である。

誰も、取りこぼすことなく、生きていける社会に変えていきたい。

そんなビジョン。もしかすると「曇り空」の答えがそこにあるかもしれないと直感的に思ったのだった。

Karmaはカメラマンでもあり、力強い言葉で話した。

ファインダー越しに見る世界だけが現実だ

その言葉の意味はよく分からなかったけれど、その言葉の持つ温度は分かる気がした。

風間 暁 撮影

目に見えないもの

改めて「ごちゃまぜcafeメム」のコンセプトを紹介しておく。

“美味しいコーヒーやフード、そしてこだわりのインテリアでみなさんにくつろぎの時間を。お子さん連れも大歓迎。キッズプレートやおもちゃをご用意してお待ちしています。
また、ソーシャル・インクルージョン(社会包摂)を目標として、さまざまな特性や社会的困難を抱えた方のお話を聞いたり、知るためのイベントを開催したりしています。
どんな方もウェルカム!メムはあなたの居場所になります”

こうしたコンセプトを掲げており、このような居場所としての機能をするお店のことを、サードプレイス、と称するらしい。

当時わたしにとってライブハウスがそうであったように、このメムも誰かにとっての居場所を目指している。

それはいつかのわたしを救うことでもある。そもそも断る理由が無かった。

そんな「メム」に集まる人たちの多くは、一見しただけでは分からない「生きづらさ」を抱えていた。店長就任当時、中でも特に多かったのが発達障害だった。今は前以上にごちゃまぜ感が増しているとは思う。

それまでわたしはあまり発達障害について詳しくなかった。ADHDやASDという言葉があること。それが注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラム障害というものであること。

そのくらいの知識であり、具体的にどんな障害なのかということを正しく把握していなかった。メムで店長を務めるうちに、当事者の方々と直接話をし、目にする機会が増えたことで、少しずつ理解を深めていった。

まず一つ。「共通点が少ない」ということ。

インターネットで検索をすれば、たくさんの情報が出てくる。そこで説明される発達障害は割と画一的であり、なるほどこれは大変そうだ、とそんな風には思っていたのだが、実際に当事者に話を聞いているとずいぶんと違いがある。

例えば「ADHD(注意欠陥多動性障害)」にしても、忘れ物が多い、ものを良くなくす、躓いたり転んだりすることが多い、うっかりミスが多い、といった説明がなされることが目立つ。

しかし、これは皆に共通しているわけではない。同じADHDでも、忘れ物を多くしてしまう人もいれば、そうでない人もいる。またその原因の解釈も異なっていたりする。

なぜよく忘れ物をするのか?」という質問に対して、必ずしも「うっかりしているから」という答えになるわけではない。

「整理整頓が苦手でごちゃごちゃしているから気付けない」
「持っていこうと思ってはいるけれど次のことを考えているうちに忘れる」
「そもそも忘れていることに気付いていないが、結果として忘れているので困る」

こんな風に、見かけで分かることと、その人の中で起きていることには、違いがある。

同じ結果にたどり着いてはいるのだけれど、そこに至るまでの過程が違ったりする。

けれど結果によって生まれる困りごとが共通しているため、広く情報に変換したときに画一的になってしまいやすいのかもしれない。

ここ「メム」ではそれぞれの当事者が抱える「生の声」が溢れているので、違いが明確だった。

ある図鑑に「リンゴ」を載せようとすると、写真は多くは載せられない。

スーパーに並んでいるリンゴも、規格を設けて選別されているので、似たような形状のリンゴが並んでいる。

しかし、木になっているリンゴは全て同じ形や味をしているわけではない。個体差が存在しており、中には本当に同じリンゴなのか分からないくらい差が生じる場合もある。けれどそれは実際に農園に行ってみないと分からない。

社会における発達障害の定義づけは、こうした細分化が分かりにくくなっているように感じることがある。

これは「ASD(自閉症スペクトラム障害)」にしても同様のことが言えた。

もう一つ知ったのは、そうした個々の違いに対して「共通していること」である。

それが「生きづらさ」を抱えていること、であった。

それぞれ違う理由ではあるが、皆が皆、上手に生きられないでいた。

「部署が変わったときに、突然仕事が出来なくなったんだよね。もともといた部署と違って細かい作業が多かったり、側近の上司が凄く苦手なタイプだったり、そういう理由でうまく働けなくなってしまい、そのことで自分を責めているうちに、うつを発症しちゃったんだよね。精神科に行って、しばらく経ってから検査を薦められて。そこで発達障害と判明したんだよね」

常連の一人はそう言って眉を顰める。

「それまでは皆と同じように普通に生きてきたけれど、自分が普通じゃないということが分かった。それは簡単には受け入れられなかったし、周りも簡単には受け止めてくれなかったかな。結局その仕事は辞めたんだけどね」

その後はうつを治療していき、回復と共に社会復帰をした。今は障害雇用枠で別の仕事をしている。彼は今も、障害者として生きている。

また別の方が言う。

「自分は小さいころから、教室でじっとしていることも出来なかったし、とにかく落ち着きが無かった。学校では問題児のように扱われてしまうし、友達もうまく作れないので、孤立しちゃいましたね…」

辛い経験であったろうけれど、あっけらかんと笑って話す。あるいは笑うしかないのかもしれない。

そんな彼を心配した親も、医療を頼ったり検査を重ねたけれど、詳しいことは分からず、結果、困難な社会生活を送って来た。ADHDが判明したのはもっと後のことだった。

それからは障害者として生きているが、今の職場には一般雇用として入社している。

その理由は、障害者というだけで様々な偏見を受けてしまうからだそう。

また別の方が言う。

「幼いころから字が書けなかった。でも恥ずかしくて誰にも言わなかった。おかしいとは思っていたけれど、バカにされるし相談もしなかった。ずっと後になって検査をしたら、発達障害だとわかった」

彼女におりた診断は「DCD(発達性協調運動障害)」というもので、また違う発達障害だ。しかし、やはり見た目には分からない。

そんな彼女はプロのライターだった。文字は書けないけれど、読めるし扱えるのだ。ペンの代わりにキーボードがあるので、ライター業が出来るらしい。

「自分は重い障害があるので、周りと同じようなことは出来ません」
「集中できる時間が短いので、フルタイムで働くのはとてもきついんです」
「学校で普通を求められるのですが、よく分からない。いつも叱られる」
「人がたくさんいる場所にいると、とても疲れてしまう」
「音に敏感で、電車に乗るのが非常に苦痛だ」
「匂いや味にこだわりが強くて、同じものしか食べられない」

別々の人が、それぞれの悩みを打ち明けてくれる。
わたしはそうなんだあ、そうなんだあ、と返事をする。

いずれもここで話を聞くまで、身近に起こりうる問題だという実感が無かった。

もしかすると、その昔に出会った人たちの中にも、そうした障害を抱えながら、悟られないよう苦労して生きてきた人もいるのかもしれない。

あるいはまだ障害として診断をされぬまま、生きることの難しさを抱えているのかもしれない。

ああ、わたしはどうだろう。わたしの「曇り空」と、彼らが抱えている「生きづらさ」と、何が違って、何が同じなのだろう。

障害はあなたとわたしの間にある

メムを訪れる人々は「生きづらさ」を抱えながら、それでもこの社会で生きていくために、適応しようと必死である。

求められている「典型的な社会人」に「非典型的な自分」を寄せようともがいている。

特性であるがゆえに、変えられないものであり、受け入れることが必要なのだとは思うけれど、特性を抱える本人だけではなく、社会がその特性を受け入れてくことも、ずっとずっと大切に感じる。

しかし求められるのは本人ばかりだし、求めてくるのは大抵は社会の方だ。

その昔、まだメムで店長をやる前に、障害雇用に関わったことがあった。

ある精神疾患を抱える方を雇用することになったのだが、その方はとても心配症で、与えられた仕事を行う際に少しでも不安があると、それを対話にて解消する必要があった。

対話に必要な時間は5分も要らない。不安に思っている内容はそれほど複雑なものでは無かったからだ。例えば「いつもと違う掃除道具なのだけれどこれをそのまま使ってよいのか」といったようなもの。

しかしその職場では、殆どの社員が、その対話を嫌がったし、煙たがっていた。今忙しいから後にして、と言って目も合わせなかったりしたそうだ。

理由としては「時間を取られるから」ということらしいが、それによってその方の作業は何時間も止まってしまう。お互いの時間を尊重するならば、対話の時間を割くことが合理的なのに。

実際には「面倒だった」のではないだろうか。あるいは「時間の無駄」と思っていたのだろう。

その方の時間よりも、自分の時間の方が、価値があると判断していたのかもしれない。直接聞いていないから分からないけれど、そう感じても仕方ないくらい悪態をついていたのは見て分かるほどだったのだから。

そんな風にして人間らしさを損なっていくことに、果たして価値があるのかどうかわたしは疑問だった。

障害」というと、その本人の持つ特性のことを指すように使われる。「障害者」というのは、そんな特性を持った本人のことを呼ぶために使われる。

だが実際に起きていることは、少し違う。

そこにいる一人の人間が、社会で生きていく上で、他者と関わるうえで、生じてしまう問題こそが「障害」である。

個人の中にあるのではなく、わたしたちの間にあることだ。

社会が受容することで無くせる障害はきっとある。出来ないものは、いまは障害としてあっていい。いずれ出来るようになる日まで。

それは社会で生きる人々の態度や考え方、あるいは技術の進歩が必要になる。

けれど前者の進み方は、ずっと遅いどころか、むしろ後退しているようにさえ感じる。

障害は、あなたとわたしの間にある。

断絶を生んでいるその壁には「生きづらさ」が刻み込まれている。

ある日、その方がぼうっと窓を眺めたまま動かないでいたので、どうしたのかと声をかけた。

すみません。差し込んでくる光がとてもきれいで。ついつい手が止まってしまいました

恥ずかしそうに掃除を再開し始める。確かにそこに差し込んでくる光はとても美しかったが、忙しく生きていると見落としてしまうような瞬間だ。

典型的になろうと必死になるがゆえに、そんな瞬間を見落としていくわたしたちの感性は、生き様は、果たして美しいのだろうか。

自分らしくいられる場所

ごちゃまぜcafeメム」では、家庭や社会で求めれるような行動や態度を必要としない。お客さんには在りのままでいてもらえるよう心掛けている。

予約の時間に間に合わなくてもいい。
落ち着かなくて席を立ったり座ったりしてもいい。
とにかく喋り続けてもいい。
食べられないものは食べなくてもいい。
気になることがあれば言ってもいい。
水を何度こぼしてもいい。
障害があることを、恥じなくていい。

誰かを傷つけてしまわないようにすることだけが唯一のルール。

勿論、失敗はするけれど、失敗が悪いんじゃあない。

大抵の場合、本当に相手を傷つけてしまうのは、失敗をしたその瞬間ではなく、そのあとの態度の方だ。わたしたちは間違えながらも進んでいくしかない。だから、起きた出来事に対してどう振舞えるか、ということが大切になる。お互いに。

それを解ってくれさえすれば、この店に難しいルールは無い。わたしも肩の力を抜いて接客をさせてもらっている。時々当たり前のようにサボっていたりする。

そういう空気感こそ、ここに来る人が「自分らしく」いられる理由に思う。求められる態度を演じる必要は無い、望ましい行動が出来なくても責められることは無い。

またそれが安心感を得られる理由なのだろう。

誰にも構えなくていい、誰からも求められない。

いや違う、奪われない。

ほんの、わずかな時間。

その時間の方が非日常なのだから、生きづらさを抱えてしまうのは当然かもしれない。

だからこそ「居場所」として機能しているのだろう。そして何よりここは、わたしや、Karmaにとっても、大切な居場所である。

曇り空」はきっと晴れない。

けどそれはそんなに悪いことじゃあない。開けたばかりの梅雨、澄み渡る青い空は美しいけれど、この強烈な日照りが続いていては苦しい。そんな時、少しばかり曇り空も必要なんだ。

今日も誰かが誰かでいられるように。
わたしがわたしでいられるように。
わたしとあなたの間にある壁に扉を付けられるように。

わたしはここでコーヒーを淹れている。

ごちゃまぜcafeメム

風間 暁

店長


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