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リカレント教育の観点から考える社員研修の意義

■リカレント教育とは何か
昨今「リカレント教育」の必要性が叫ばれていますが、そもそも「リカレント教育」とはどういうことを意味するのでしょうか。「リカレント」の言葉は「回帰する、循環する」という意味です。ブリタニカ国際大百科事典によると、リカレント教育とは「義務教育または基礎教育の修了後、生涯にわたって教育と他の諸活動(労働、余暇など)を交互に行なう教育システム」と定義されています。つまりは、従来私たちがイメージしてきた「学校(就学)→社会(就労)」という一方向の教育システムではなく、就労後も継続的な教育に取り組むことで、生涯にわたって教育機会を分散するしくみを言うことだと捉えられるでしょう。広義には、社会人が人生の途上で様々な機会を活用して様々な形態で学ぶことを意味し、狭義には、就労後に高等教育機関など整った教育機関に回帰して再び集中的な教育を受けることを意味するでしょう。

このリカレント教育が近年強調されているということは、現在のリカレント教育の質・量だと不十分であるということが言えるのでしょう。つまりは、教育=人材育成のさらなる意識・取り組みの向上が、全社会的に求められていると言えそうです。

■リカレント教育における社員研修の意義
現在リカレント教育について言及される場面では、社会人の大学編入学など狭義の意味合いで使われることが多いようです。しかし、リカレント教育とは本来前掲の広義の視点に立って、幅広い方法が検討されてよいはずです。企業が自社の社員に対して社内研修・社外研修のような形で学習機会を提供する、あるいは働きながら学び資格取得を目指す社員への補助を行うことは、広義のリカレント教育の一環と言えるでしょう。この観点においては、質や形態が理想的なものであったかどうかは別として、リカレント教育自体は従来から一般的に行われていたと言えます。

企業が社員に対する教育を通じて社会全体の人材力を底上げし社会の発展に寄与する意義は、言うまでもなく大きいものです。社内研修・社外研修などのOff-JTや資格取得に対する組織としての支援は、その代表的な方法です。私は経営コンサルタントとして、様々な企業の経営計画策定・実行のご支援をしています。その中で、社内研修・社外研修などの育成機会に立ち会う場面も数多くあります。本コラムでは、そうした機会を通して感じていることも踏まえながら、リカレント教育の一環としての社員研修の促進について考えてみたいと思います。

■社員研修費用の現状
各社は社員研修にどれぐらいの費用をかけているものなのでしょうか。株式会社産労総合研究所の調べによると、2018年度の従業員1人当たり教育研修費用(実績)は平均で34,607円となっています。単純には、34,607円×正社員数=1企業あたり平均の年間社員研修費用となります。同調査でいう教育研修費用は、表①の項目各費用の合計額です。これらはいわば研修に掛かる「直接費用」であって、研修受講者・教育スタッフの人件費(当該研修の準備・実施・参加に費やした時間に相当する労務費)などの「間接費用」は含まれていません。よって、自社の1人当たり研修費用について考察する際は、同調査結果との単純比較で高いか安いかは一概に言えないでしょう。例えば研修の内製化(社外講師ではなく社内講師が指導する形態の研修)を図っている企業であれば、間接費用の比率が高くなります。こうしたデータを参照する際には、間接費用を考慮して自社と比較する必要があるでしょう。

その上で、例えばこのようなデータの水準と比較して自社の社員育成の取り組みは明らかに劣っている、社員育成に予算を投入する考えがこの水準ほどはなかった、などの振り返りになる企業は、自社の社員育成について再考してみてもよいと言えるのではないでしょうか。

表①<従業員1人当たり教育研修費用予算額>

① 正社員を対象とした自社主催研修の会場費・宿泊費・飲食費
② 外部講師費
③ 教材費
④ 外部教育機関への研修委託費およびセミナー・講座参加費
⑤ eラーニング・通信教育受講費
⑥ 公的資格取得援助費
⑦ 研修受講者・社内講師の日当・手当・交通費
⑧ 事務局費
⑨ その他これら以外の教育研修に必要な費用
(ただし、研修受講者・教育スタッフの人件費は含まない)

■社員研修の生産性向上への寄与 社員研修の効果測定
そうした費用を投入し社員に研修を行うことで、実際にどれだけ事業活動としてリターンが得られているのでしょうか。社員研修が最終的に当該企業の事業活動の向上(生産性向上)にどれだけ寄与したのかの効果測定は、古くて永遠のテーマです。研修の効果を把握するための方法論で代表的なものが、ドナルド・ L・カークパトリックが提唱した「カークパトリックモデル」による効果測定の考え方でしょう(表②)。

研修実施にあたって日常的に行われているのは、受講後の研修満足度アンケートです。これは同モデルのレベル1に該当します。満足度の測定は重要ですが、「満足度スコアが高い=効果の高い研修」とは一概に言えないことを、私たちは知っています。研修満足度が高いからといって、その研修で取り上げた知識や技能を受講者が本当に身につけ、職場で実践し、具体的な成果につなげるとは限らないからです。よって、受講者が知識や技能を本当に身につけたかを測定する理解度テストや、受講者が得た知識や技能を発揮して行動変容したかを測定する行動観察の実施も検討するべきでしょう。例えば、コーチングの手法を体得するコーチング研修を実施した場合、手法の知識を問うテストを行う(レベル2)、学んだコーチング手法を活用して部下との面談を行ったかを受講者自身に確認する、あるいはその面談によって新しい気付きを得たと感じたかを受講者の部下に確認する(レベル3)などが考えられます。

表②<カークパトリックモデル:研修効果測定4段階>
レベル:定義・概要:測定方法の例
レベル1 Reaction(反応):受講者の満足度⇒「よかった」 :研修満足度アンケート
レベル2 Learning(学習):受講者の知識やスキルの習得度⇒「わかった」「できる」 :理解度テスト、実技試験
レベル3 Behavior(行動):受講者の職場での活用度、行動の変化⇒「実践した」 :職場での受講者ヒアリング、上司ヒアリング、行動観察
レベル4 Results(結果):受講者が組織にもたらした具体的な成果⇒「結果が出た」: 売上増加率、新規顧客開拓件数、コスト削減率


■測定の限界と対応方法の考え方
そして、理想的にはレベル4が実現されているかどうかの測定を目指すべきですが、現実的には困難でしょう。例えば研修実施によって得たい「結果」を「売上増」と定義した場合、売上増につながる要因が「外部環境」「商品・サービス力」「時の運」など、人材力以外にも多く想定されるからです。さらには人材力についても、当該研修がどの程度直接人材力向上に寄与していたのかを測るのは不可能でしょう。
それでは、どうするべきか。ひとつの有力なアプローチとしては、レベル4につながるレベル3がどのような状態かを的確に定義し、その状態が実現されているかを測定することです。例えばマネジメント研修により得たい結果が「マネジメントの強化」であれば、「職場内のコミュニケーション行動が十分図られている」「設定した目標に対するPDCAが徹底されている」など、実現したい結果につながると想定される具体的な行動がなされている状態を定義し、その実践度合いを研修の実施前、実施後、そして継続的に測定し比較するわけです。つまりは、レベル4を生み出すレベル3の要因がどう変化し継続したかの測定です。このようなアプローチを行うことで、社員研修が当該企業の事業活動の向上(生産性向上)にどのように寄与したのか、ある程度想定することが可能になるでしょう。

私も様々な企業から依頼を受けて社員研修を行うことがありますが、社員研修実施に際してこの目的設定が不十分な企業が散見されます。研修企画にあたって費用対効果を考察するのであれば、まずその研修で何を手に入れたいかの的確な目的(研修による「結果」を何に求めるか)、その目的に見合った効果があったかどうかをどのように判断するかを定義するとよいでしょう。

■人材育成の取り組みが顕著な企業 研修予算の高い企業
少し古いデータですが、日本経済新聞社、日経HR、日経リサーチが行った「人を活かす会社」調査(2016年)によると、回答企業の中で社員1人当たり研修費が最も高いのはDMG森精機の約52万円となっています(表③)。この額は、前述の従業員1人当たり教育研修費用(実績)平均の十数倍にも相当します。同社は社員教育の総額として売上高の1%を充当し積極的に学べる環境であることを謳っています。同調査で上位にランクする企業が実施する研修に、私も参画させていただいたことがありますが、受講者や研修を企画する人材育成部門の方々の熱意は際立っていました。人材をしっかり育てようという企業の方針が、これらの研修費の高さにも反映されていると言えるでしょう。

表③<1人当たり研修費ランキング>
順位 社名 1人当たり研修費(円) 
1 DMG森精機 523,255
2 三井物産 436,409
3   野村総合研究所 410,156
4   ローソン 366,512
5   伊藤忠商事 319,833 
6   日立建機 300,115 
7   三菱商事 294,117 
8   新日鉄住金ソリューションズ 276,906 
9   ピジョン 255,747
10 サントリーホールディングス  252,725

リーダー育成で有名な企業として、GEが挙げられます。近年は業績が低迷気味ですが、創業以来経済界を引っ張ってきた同社の歴史には、やはり学ぶべきものがあると思います。規模や事業の違いから各社と直接の比較はできませんが、考え方としては参考になるはずです。

GEでは、人材育成に毎年10億ドル(約1,200億円)を投資し、経営幹部層は執務時間の3分の1を人材育成に充てています。CEOもGEの研修センターで自ら教鞭をとるほか、各国訪問の折には現地社員との直接対話(タウンホール・ミーティング)を欠かしません。同様に、他のビジネス部門の責任者も、各地における社員との直接対話やトレーニング・プログラムでの講義に相当な時間を充てています。GEでは、各階層において自分より優秀なリーダーを育成することが使命とされています(以上、GEレポートより)。

そうした膨大な育成の取り組みを通して、同社を引っ張るリーダー層を育成しているわけです。さらには、それらの取り組みに参加する数多くの候補の中から、何年もかけて次代のCEOが選ばれるわけです。「現社長・現リーダーの背中を見て学ぶ」ももちろん有意義なわけですが、それだけでは育成の仕組みとしては不十分なのではないかと、GEの例からは考えます。特に後継者育成に関しては、このような桁違いの時間・機会・費用が必要だということを、参考にすべきではないでしょうか。

■事例考察
次に、建設業を営む地方の中小企業(A社)を例に考えてみます。現在、建設業界は人材確保が困難な業界の代表格です。A社も例外ではなく人材の引き留めに苦慮し、4年前は入社3年以内の社員の離職率が50%を超えていました。この状況を変えたいと考えた経営者からの要望に沿い、社員研修が企画、実施されました。

まず着手したのが、以前は散発的に行っていただけの新入社員研修の改善でした。4月に行う新入社員研修で新入社員に伝えたい要素を網羅的に整理整頓、研修プログラムに落とし込み体系的に企画・実施することで、新入社員に対する入社時の教育内容を従来から一新させました。そして、入社からしばらく経った7月、10月にも1日ずつの研修を行い、4月に学んだことを現場で実践できているかの確認、現場で悩んでいることの共有、よい解決方法がないかを他者と考える機会となる定期的なフォロー研修を行うようにしました。加えて、入社2年目以降も10月と3月に「若手社員フォローアップ研修」を実施し、継続的なフォローを行うようにしました。10月に行う研修は、その年度の新入社員へのフォロー研修と入社2年目以降の若手社員へのフォロー研修を同じタイミングで行い、一部のプログラムで受講者を合流させます。合流時には2年目以降の若手社員が新入社員に対し具体的なアドバイスを行う時間をつくっています。他にも若手社員を指導する立場にあるマネージャーに対するマネジメント研修などを本格的に始めました。これらの取り組みの結果、4年後には入社3年以内社員の離職率が約8.8%にまで低下し社員数も4年間で1.3倍に増加、売上高も4年で約2倍に増えたという結果を実現しました。

A社においての成功のポイントは、新入社員教育単体の改善に加えて、2年目以降社員の教育やマネージャー教育のテコ入れにも同時に着手したことでしょう。加えて、新入社員と2年目以降社員合同での研修機会を設けたことも、その効果に注目すべきです。これが、「入社3年以内の社員の離職率が高い」⇒「新入社員への手当てが必要」⇒「新入社員への研修のみを強化」の取り組みにとどまっていたら、効果は限られていたのではないかと推察します。同社の取り組みの結果、40代以上社員の意識・行動も大きく変わりました。かつては、「研修などやる暇ない」「やめたい奴はやめればよい」という発言が目立っていましたが、「若手は自分たちで育てなければならない」など明らかに発言内容に変化が見られたのです。前述のカークパトリックモデルに当てはめて考えると、この発言内容の変化が「レベル3:行動変化」に該当し、この行動変化が得たい結果である「レベル4:離職率の低下」をもたらしたと仮説付けることができます。この考察は的を射ていると言えるでしょう。

■社員研修のあり方 自社のあるべき組織像・人材像の定義、人材育成体系の整備
他社でも通用するような汎用性のある知識や技能を「一般的人的資本」、企業特有のものとして当該企業内でのみ通用する知識や技能を「企業特殊的人的資本」と言うことがあります。企業で蓄積される人的資本のうち、一般的なものと企業特殊的なものとの割合は、職種やビジネスモデルなどで異なります。一般的人的資本の比率が高い仕事として、例えば理美容業や医療業、不動産業などが挙げられます。理美容や医療の専門資格、不動産売買の営業スキル等があれば職場を転々と渡り歩くことがしやすいわけです。また、コミュニケーション力やリーダーシップ、論理的思考力、マネジメントスキルなども一般的人的資本に該当します。

逆に企業特殊的人的資本の比率が高い仕事の典型例は製造業の製造部門従事者でしょう。企業によって製造工程やサプライヤー、社内他部署との調整方法などが異なり長期的な関係性も重視されますので、それら人的資本を他社でそのまま使うことには限界があります。また、経営理念の浸透・体現も、当該企業で生き生きと活躍するために重要な特性の習得という観点から、企業特殊的人的資本の要素例です。企業にとって肝要なのは、自社に必要な「一般的人的資本」「企業特殊的人的資本」とは何か、そして自社社員の各階層にはどんな「一般的人的資本」「企業特殊的人的資本」を持ち合わせた人材が必要であるのかを定義し、それらをどのようなOff-JT、OJT等で身につけてもらうことを想定するのかの、人材育成体系をつくって運用することです。前述のA社の場合も、研修内容に同社が重要だと考える「一般的人的資本」「企業特殊的人的資本」両方を高める要素が、目的に沿って的確に組み込まれています。

■機会費用の観点
ここで関心事としては、「社員の一般的人的資本を高めると人材流出(離職)しやすくなるのでは?」という視点でしょう。確かに、訓練により汎用性のある高度なビジネススキルを身につけた人ほど人材力の高さを買われ、労働市場での価値の上昇と他社でも活躍できる確率の高まりから、流出しやすくなるのは当然の結果とも言えます。しかし、だからといって「研修による人材育成は高リスク低リターン」と結論付けるのは筋違いであると考えます。また、人材流出のしやすさが短絡的に離職につながるとは限りません。むしろ、A社の例からも離職率低下をもたらす可能性すらあります。研修費用・意義について考える際は、経済学で言うところの「機会費用」の概念が有益でしょう。

機会費用とは、「ある財を手に入れるために諦めなければならない別の財」のことです。買い物をすれば、買ったものがもたらす便益や楽しみ、ストレス解消などの財が得られます。代わりに、買い物以外の別のことに使えた時間とお金という財を失います。他方、買い物を諦めれば時間やお金は維持できますが、買うものから得られるはずの便益や楽しみ、ストレス解消などを放棄しなければなりません。

これと同様に、研修を行えばそれに要する時間と費用を失います。他方、「その研修を行わないことで諦めることになる別の財がないか」を考える必要があるという観点です。前述のA社の例で言えば、同社が手掛けた研修をもし行わなかったら、「離職率:50%⇒8.8%への低下」「社員数:1.3倍の増加」「売上高:倍増」が得られなかったわけです。もちろん、これらすべてが研修により得られた財とみなすには無理がありますが、その大部分は研修を行うことでもたらされた果実であろうと、A社経営者は認めています。機会費用の観点からも、十分な費用対効果をもたらした研修の例だと言えるのではないでしょうか。

人材育成に能動的で「人材輩出企業」と認められる企業は社会的なブランディングができるため、よい人材を引き寄せる効果もあります。米国で語られる格言に「人々は会社を去るのではない、悪い上司から去るのだ」という言葉があるそうです。この格言に沿うと、優れたマネジメントスキルを身につけた上司や先輩社員の下で仕事ができることで、社員の潜在的な離職を下げる効果も期待できるということです。このように、社員研修による人材育成・組織づくりが、企業ブランディングや離職者予備軍の低減化などにつながる効果を見逃すべきではないでしょう。何より、人的資本の強化はリカレント教育の一環を通じた社会貢献であり、各社が掲げる経営理念とも合致するはずです。

■主観により機会費用を見極める
しかし、カークパトリックモデルで言うレベル3やレベル4をいかに設定したとしても、どこまでいっても教育研修の直接的な費用対効果は把握しづらいでしょう。そこで、お勧めの指標があります。それは、「経営者やマネージャーの主観で費用対効果を考える」ということです。

例えば、研修前後の部下を上司が観察し、「参加した研修のテーマ○○に関して、部下は(あるいは自部署は)よい方向に向かっていると、研修実施前より実施後のほうが明らかに実感できる」と思えるかどうかです。「そう思えますか。あるいは思えないですか。」と問われて、上司が迷わず「思える」と回答できれば、その研修は効果を発揮しているとみなすわけです。そして、会社全体で行われている人材育成の取り組みについて、経営者が「効果が出ていると確信が持てる」「それらをやらなかった場合を想像すると、多少の費用は使ってでもやったほうがよいと思える」ならば、費用対効果はあるとみなすわけです。

主観による判定は案外的を射るものです。研修の効果など形になりにくいものは上記のような定義でも十分ではないかと、私は考えます。経営幹部の多くが「会社がよくなっている」と主観で思えるならば、実態としてよい方向に向かっているはずだからです(もしその見立て自体が間違うようであれば、そもそも幹部の判断が日常的に機能していないという別の問題になります)。これは、教育研修に限らず、組織開発や働き方改革など、ヒトが絡む多くの取り組みに共通して言えることではないかと思います。

■上司・マネジメントの役割
社員研修を効果的な育成機会にする上で、マネジメント・研修参加者の上司にあたる人が果たす役割は重要です。まず、研修を送り出す側の上司が、人材育成のあり方について人事部門や経営層と一緒になって考えることです。それは、自社や自部署をどんな人材で溢れた組織にしたいのか、あるべき人材像を可視化・言語化することです。あるべき人材像はひとつかもしれませんし、部門や職種の数だけ必要になるかもしれません。そして、各社員がそのあるべき人材像に近づくために、どんな育成機会が必要かを構想し、その育成機会の中でOff-JTとしてどのような研修を行うべきか、内容を企画することです。企業訪問して時々見かけるのが、部下が参加する研修内容を管理職者が何も知っておらず、「人事屋が企画した何かの研修に部下が参加しているらしい」程度の把握しかしていないという景色です。管理職者に求められる役割は、研修について評論家的に人事部門に一任するのではなく、人事部門と共に自社なりの育成について企画し取り組むことだと思います。先ほど触れた通り、GEでは仕事の1/3が人材育成です。

次に求められる役割として、部下の研修への参加・研修に高い関心を持っていて、期待しているということを、部下に対して具体的な言動で示すことです。私が講師を務める研修では、上司とどのような話をしているか、研修参加者に問いかけることがよくあります。その結果は様々です。「こんな期待を背負ってきている」と上司がかけた具体的な期待の言葉を回答する人もいれば、「特に何も話していない」と答える人もいます。これまでの経験でも、間違いなく前者の人の方が意欲的に研修内容を学び、身につけて持ち帰ろうとします。研修テーマに関する知識や実務力の初期値は研修参加者によって様々ですが、講師の立場から見た伸び率でいうとやはり前者の人の方が高く感じます。場合によっては、「この忙しい時期に研修なんかに参加するの?」と嫌味を言われてきたという参加者を見かけることもありますが、そのような上司は論外でしょう。人材育成において、「わかった」だけでは役に立ちません。「わかった」が「できる」に発展する必要があります。「わかった」を「できる」に変えるには、相応のエネルギーが必要です。上司の後押しによって意欲を高めて送り出すことが、研修の場で「できる」のきっかけをつかんで帰るためには不可欠です。

さらには、参加者が研修で学んだことを、日々の業務で発揮してアウトプットにつなげているか、効果の確認をすることも、上司の大切な役割です。「できる」の先には「実践している」「結果につなげている」があります。ありがちな景色として、「部下が研修に行ってきたけど、その後結局何も変わっているようには見えない」という上司のぼやきがあります。しかし、その前工程のプロセスとして、「研修で学んだことをアウトプットさせる具体的な機会をつくる」「学んだことをどうやったら生かせるか一緒に考える」という取り組みが往々にして足りていません。これでは、「自主性という名の放置」と言えるでしょう。そうではなく、部下とともに何ができるか考え取り組むのが、人材育成というテーマにおいての上司としての役割ではないでしょうか。

■今後の人材育成のあるべき姿
前述で研修費用の現状について言及しましたが、そもそもかけるべき研修費用の適正な基準など存在しません。かつては「人材育成への貪欲な取り組みが日本企業の長所である」等と言われることがありました。しかし、その認識はどうやら時代遅れのようです。

前述の「従業員1人当たり教育研修費用(実績)34,607円」という額は、実は同調査で30年間ほぼ3万円台で推移していて、ほとんど変わっていないのです。一方で、他国の状況はどうかというと、日本以上に人材開発への投資を加速させているようです。2020年1月20日の日経新聞記事によると、GDP比の人的投資額(OJT除く)で、データ対象の米英独仏伊に日本が見劣りするという結果が記載されています。最も高いドイツではGDP比で2%超、日本の次に低いイタリアでも1.0%超となっている一方で、最下位の日本は0.4%未満です。

加えて日本の場合は、1995年~2004年の間より、2005年~2015年の間ほうが、この数値が下がっているとのことです。この間、日本のGDPはほとんど増えていません。GDPが増加せずGDPに占める人的投資額の比率が下がっているわけですので、上記1人当たり教育研修費用がほぼ横ばいなのもうなずけます。この間GDPが増加した他国が行っている人的投資とは、格差が開いていく一方の平成時代だったと言ってもよいのでしょう。近年では、アジア企業の教育熱の高まりも指摘されています。人的投資の差と、他国に比べ低成長を続ける日本の現状は、無関係ではないように思われます。

別の観点からですが、34,607円という額から推定しても、従業員1人当たりの教育研修費の年収に占める比率は、日本企業平均ではせいぜい1%以下と推定されます。これに対し、欧米企業では2%以上と聞くこともあります。また、売上の1%以上を教育研修費に充てていると聞く欧米企業も時々耳にします。日本企業でそこまで教育研修に投資している企業は、前述のDMG森精機などを除き、稀でしょう。私は昨年都内で行われた、とあるコーチング研修に参加しましたが、参加者の多くがいわゆる外資系企業のマネージャーでした。彼らからは、「今回の学びを持ち帰ってチームビルディングに生かすことを、社長方針として背負ってきている。戦々恐々としている。」のような話が次々と聞かれ、大変印象的で圧倒させられました。日本企業に所属している参加者は、概して自発性・自己啓発に基づく参加である印象でした。同研修がたまたまそうだっただけなのかもしれませんが、このエピソードからも、私たちにとって、社員研修による人的資本強化にはまだ取り組み余地が大きいと言えるのではないかと思います。

上記新聞記事では、「戦後の日本は資源がなく「人材だけが資産」といわれてきた。」と書かれています。企業関係者と話をすると、「日本企業は人材育成に熱心だ」という認識を今でも聞くことがありますが、過去の亡霊による事実誤認に囚われているというのが、私の印象です。企業幹部と話をすると、年間数えるほどしか実施していない社員研修に部下を送り出すことでさえ、「意味があるのか」「忙しくて研修どころではない」などと聞くことがあります。私の視点としては、「その程度の負荷・工数でさえ、業務遂行上の観点から許容できないとなると、人材投資は放棄していると言うに等しい。」という意見です。現状の人的投資レベル自体が理想には遠いかもしれない、本来はもっと投資すべきなのかもしれない、という認識を、まず組織・マネジメントの側が持つことが必要だと考えます。

■まとめ
本コラムで考えてきたことを、改めてまとめてみます。
・ 企業が社員に対する教育を通じて社会全体の人材力を底上げし、社会の発展に寄与する意義は、言うまでもなく大きいものである。
・ 従業員1人当たり教育研修費用は約35,000円である。ただし、この額は長年増えておらず、他国水準と比べても不十分である。この人材育成投資の差に、日本企業の低迷の一端を見ることができそうである。
・ 研修実施による効果の測定は、研修中・直後の参加者の反応だけではなく、その後の行動変容、生み出した成果まで見る視点が必要である。成果に対する研修の影響度合いを直接定量化するのは難しい。よって、成果につながっているであろう行動変容が何かを定義し、その行動変容が起こっているかどうかを判断するのも、有力な測定方法である。
・ 研修にかける費用は十分に効果を生み出しているのか、費用対効果の判断はマネジメントによる「主観」に基づくものでもよい。
・ 部下を研修に送り出す上で、マネジメント・上司の役割は重要である。それは、人事部門と共に研修を企画すること、部下に期待を伝えて意欲を持たせること、研修の学びを部下と共に実務で活かすこと、が挙げられる。
本コラムが、読者の皆さんの組織で人材育成を考えるきっかけになったなら、大変うれしく思います。

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